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2012-07-07 (Sat)

お節句に食べる物

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買い物しようと街まで出〜か〜けた〜ら、なんとまあ“盆踊り”をやっていました。え? 早くね?
地域の婦人会か何かの有志なんでしょうか。一心不乱に踊っていましたよ。『アンパンマン音頭』なのに真顔で。
どうなんですか? 盆踊りってやっぱり真顔で踊るものなんですか? 楽しげに踊ったらいけませんか? 「お盆」と言えば、死者を供養する行事ですからね。そこで踊るのだから厳かであるべきなんでしょうか。
よくわかりませんが、アンパンマン音頭には笑顔が似合います。


て言うか、今日は七夕じゃないですか。
上野に勤めていたら、湯島駅に笹飾りがお目見えするので「ああ、もうすぐ七夕かぁ」なんて思っていたのですが、中目黒にはそんな風情はありません。横浜の実家でもこれと言って何かするわけではないので、行事感が薄い。

一応お節句なので、どんなことをするのが由緒正しき七夕の節句の過ごし方なのかと調べてみたら、なんと、“素麺を食べる日”だったんですね!
桃の節句であればハマグリの吸い物みたいな。端午の節句であれば柏餅みたいな。
素麺とは! かなり予想外なんですけど。これまで七夕の日に素麺を食べた記憶は一度もありません。もしかしたらあるかも知れないけれど、それは「七夕だから」という理由ではなく、たまたま献立が素麺だっただけに違いありません。

そして我が家の今宵の献立は、僕のリクエストによりタコとアサリのスパゲッティでした。素麺なんか、力が出ーーん!

2012-07-06 (Fri)

顔も知らない間柄

上野で忙しい日々を送っていたときに、仕事の相談をしたくて、草食男子くんを通じて同じ仕事をしていた女性を紹介してもらったんです。
まったく面識のない僕に、すごく優しく丁寧に仕事を教えてくれて、初めのうちはおずおずと話していたのですが、いつしか軽い冗談を言ったりできるほどになりました。
電話やメールだけのやりとりなので、今以て面識はなくて、僕もその方の顔を知らないし、彼女もまたこちらの顔を知らないわけです。

ただこの4月に僕は転勤になり、仕事内容が変わったので、電話をする機会もめっきりなくなってしまいました。

昨日、たまたまその方に用事があって、少し久しぶりに電話を掛けたんです。そうしたら開口一番「わあ、声が聞きたかったんですよぉ」とか言ってくれたんですよ!
あ、一応お断りをしておくと、ご結婚されていてお子さんが4人もいるお母さんなんですけどね。
でも「声が聞きたかった」なんて言われて、悪い気はしないじゃないですか。て言うか、ちょっと舞い上がっちゃいますよね。ニヤケる自分を抑えながら電話をしてましたが、舞い上がって必要以上に僕ばかりお喋りが止まらない、止まらない。

今日もお礼のメールが来て、思わずニヤケてしまいました。「声が聞けて嬉しかった」と。

いい歳して気持ち悪いですけど、良くないですか? 絶対に恋愛に発展しないこんな淡い間柄も。しかも顔を知らないなんて、余計にドキドキですよね。

2012-07-05 (Thu)

みんな大好きカラオケ

隣の席の女性に「カラオケとか行きます?」と尋ねたら、「歌うのは好きだけど、最近は行ってない」とのこと。一緒に仕事をするようになって3ヶ月。相変わらずの人見知りなので、いまだに探り探りで隣の席の人を遠巻きに観察している状態ですが、やっと少し突っ込んだ話もできるようになってきました。
歌うときは本気で歌いたいので、お酒を飲んでいてもカラオケに行くと決まったら「あ、お酒はそろそろ」と控えて、喉のコンディションを整えるのだそうな。すごい気合い。お得意は宇多田ヒカルだそうで、これまた意外。

最近わかったのは、みんな結構カラオケで歌うのが好きだってこと。だけど自分から「歌いたい」とか「カラオケに行きたい」と言い出すのははばかるみたいで、なかなか行く機会がないということ。

ならばということで、僕が企画してみましたよ。題して「夏のストレス発散大作戦

集まったのは総勢8名。3時間一本勝負!ということで、わりとたっぷり時間はあったのですが、僕は4曲ほど歌った後、声が嗄れてしまって。風をひいたりしても声が出なくなることなどないのに、最後の1時間は喉がガッサガサでろくに歌えませんでした。
ビールを飲み過ぎたのと、H.Kくんが歌った布袋寅泰の『POISON』を吠えるように大合唱してしまったのが良くなかったと思われます。サビ泥棒。

比較的利用料がお安いということで新宿の歌広場にしたのですが、料理を頼むのと、その都度代金を部屋で支払うというシステムは鬱陶しくないですか? ゆえにあまり注文しなかったし。

2012-07-04 (Wed)

中目黒の印象

中目黒に転勤して3ヶ月。最初の印象はとにかく「シャレオツ〜」でした。
ちょうどサクラ満開の季節だったこともあり、目黒川沿いに大勢の人が繰り出して、出店が出たりするのだけれど、スパークリングワインとか売ってるの! 使い捨てのプラスチックのグラスに一杯売りで。花を愛でながらスパークリングワインでそぞろ歩きですよ。
ねぇ? シャレオツでしょ?
これが上野公園だったら、ワンカップ片手に騒いでるサラリーマンたちだからね。

昼飯を食べようと外に出れば、オムライスが一皿1,200円!?みたいな。料理が出てくるのもゆ〜っくりだし、なんかもう街全体でオシャレ感を頑張って演出している感じ。

そしてビックリしたのが、ドン・キホーテまでがオシャレなの! オシャレって言うか普通に綺麗なの。3月までいた御徒町のドンキなんて、そりゃあもう雑然としてましたから。ドンキってそこを売りにしているようなところがあるしね。
でも中目黒は違う。とてもでっかい開放的な玄関。整然とした陳列。違い過ぎる。

――と思っていたら、目黒区青葉台は本店(本社)なのでした。
さすがにお膝元だけでもちゃんとしとかないと。ちなみに、そんなに綺麗なのにただいま店内を改装中(7月7日10:00amオープン予定)。いや・・・つーか、もっとほかに改装すべき店舗があるんじゃね?

2012-07-03 (Tue)

僕の履歴

僕はこの4月にまたまた転勤をしました。今年で20年目になる今の職場ですが、転勤はこれで8ヶ所目。同期の中でも多いほうだと思います。

就職して最初の赴任先は大田区の大森でした。ずっと横浜で育った僕には、大森と聞かされてもピンと来ないくらい未知の場所。だけど今でも大森で作った銀行口座を解約せずに使っています。もう15年以上行っていないなぁ・・・。

大森の次は世田谷。僕が今の住まいを選んだのは、この時に覚えた土地鑑ゆえ。ここがいちばん長くて4年間働いていました。

世田谷の次はまた大田区に戻って、今度は蒲田。一駅しか違いませんが、1947年までは大森区と蒲田区に分かれていたんですよ。大森の「大」と蒲田の「田」を取って「大田区」。これを知っていると住所を書くときに間違えませんね!

蒲田の次は渋谷。NHKの放送センターのすぐ近く。僕は高校生の頃から渋谷のCDショップなどに通っていて、エネルギッシュさが大好きだったので、いつか転勤したいと密かに思っていたら叶ってしまったんです。このときに一人暮らしを始めました。

渋谷の次は溝の口。初の神奈川です。転勤は基本的に各県単位だったのですが、この時は自分で希望して異動させてもらいました。桜新町から5駅下るだけの超楽勝通勤が最高でした。ツラいことも多かったけれど、すごく勉強になった時期でもありましたね。

溝の口の次は府中。これは僕の中では想定外でした。府中の街はあまり好きにはなれず、でもわずか9ヶ月で異動になった黒歴史的存在です。

そしてこの3月までちょうど3年お世話になった上野。浅草にもちょくちょく行ったし、不忍池の目の前で立地も最高。東京スカイツリーもようやく完成したのに、5月のオープンを待たずに異動とは! あと2年くらい上野のままで良かったんだけどなぁ・・・。

で、上野から中目黒に転勤しました。

2012-07-02 (Mon)

遅まきながら触れずにはいられないこと

日記を一年半お休みしている間、僕の身の回りに起こったいちばん大きな出来事。と言うか、日本に起こった出来事。

東日本大震災 2011年3月11日。

揺れた瞬間、僕は上野の職場にいました。
頑丈な鉄筋のビルなので、そんなにグラングランしなかったのでしょうね。何かが倒れることもなかったし(デスクを汚くしていた人の山積み書類が崩れただけ)、「ちょっと大きいかな」と感じる程度で、僕自身は結構平然としていました。
だけど腰を抜かしてる女性、壁に張り付いてる同僚、中には大声で「避難経路確保!」とか言いながら、妙に張り切っている年配職員とかいて、正直「そんなに?」と思ったんですよね。僕、あまり恐怖を感じなかったんですよ。

皆は家に帰れるか、家の物は倒れていないか、家族は無事かなど、当然ながら心配の嵐だったのですが、固定電話も携帯電話もつながらないし、交通網は完全にストップ。

慌てたところでどうすることもできないので、職場の人たちと「電車が動くまで飲みますか」と、6:00pmから居酒屋で飲み始めましたよ。
ところが11:00pmになっても地下鉄は動かず、ならば会社に泊まるしかないと、職場に行ってみました。すると、すでに帰宅を諦めた職員たちがわんさか。

そのまま再び飲み始め、僕は3:00am過ぎにとうとう記憶を失くしてしまいました。そしてフラフラと職場を出て、神田橋まで歩き、タクシーを拾って帰ったようです(覚えてない)。後から考えると、よくタクシーを拾えたなという状況だったらしく、ツイていたのかも知れません。

要するに僕はあの日、大変軽薄だったということです。
地震から一週間ほどニュース映像などを見聞きし、次第に明らかになる地震や津波の犠牲を知り、あまりにも不謹慎で軽薄だった自分を恥じて、3日ほど自己嫌悪に陥りました。3日で立ち直りましたけど。
今さらですが、当日の自分の行動を深く反省をするとともに、犠牲になった方々のご冥福をお祈りし、早く元気いっぱいの日本になるように一緒に頑張りましょう。
・・・・・ホント、すみません。

2012-07-01 (Sun)

復活

一年半もの間、日記をお休みしてしまいました。
月並みですけど、一年半なんて、本当にあっと言う間ですね。はじめのうちは「来月になったら再開しよう」とか「10ヶ月経ってしまったから、じゃあキリ良く年明けから」とか思っていたのですが、いつしか「そのうち再開できれば良いや」と考え出し、18ヶ月なんてすぐ。

なぜお休みしていたかと言えば、早い話が仕事が忙しかったから。
頻繁に更新していたブログなどが放置されてしまう理由のトップは、おそらくこれだろうと推測しますが、僕もご多分に漏れず“多忙”です。
忙しくったってチョロッと日記くらい書けるだろうと思うのですが、これができないもんですね。昼間仕事で目一杯頭を使うと、帰宅してPCに向かうのさえかったるい。
そして、文章を紡ぎ出す気力が湧いてこない。惰性でも物が書けちゃうような文才もないので、ちょっとでも気力がないと、何かを書くなんて本当にできないんです。
気力ってちょー大切。

結局541日間お休みをしていたのですが、それだけの日々、一切の文章を書かずにいると、脳みそが鈍った感覚がありますよ。
たとえば飲み会に行っても、話題が思い浮かばなかったり、上手く話せなかったりするんです。書いている間は、楽しかった出来事を文章にまとめて、オチまで考えたりしていたので、酔って話しても我ながら理路整然としていて、どっかんどっかんウケていたのですが、日記を休んでいる間はオチ無し、山無し、意味無しの不毛なお喋りばかり。(まあ「どっかんどっかん」は言い過ぎですが)
こんな日記でも、頭を使って書いていたんだなぁということを、改めて思う日々でした。

ようやく気力が満ちてきた&職場が変わって落ち着いてきたので、また少しずつ書いていくつもりですが、あくまで備忘録だというスタンスを保ちつつ、気負わずにやっていきますよ。

2011-01-06 (Thu)

ボラーレ

僕の統計では、風俗好きの男が体験談を話す時、良い思いをしたことはあまり喋りません。「あそこの店の女の子のテクニックが最高でさ(以下略)」みたいなこと。あるいは「◯◯円ポッキリであんなことやこんなことまで(以下略)」みたいなこと。そういうことは喋ったところで「それで?」みたいな雰囲気になるのが必至だから。
むしろ饒舌になるのは失敗談。とくにボッタクられたことがある人は、それを武勇伝のごとく語るよね〜。

12月に係を異動して初めて上司が飲みに誘ってくれました。と言うより、飲みたそうだったので僕が付き合ってあげたというのが正しいかな。
座敷にあぐらでちゃぶ台を囲むようなレトロな居酒屋で、あまり深い話をしたことのない上司とさし飲みですよ。どんな話題をしたら・・・と探りながら飲み始めたら、なんと課長、風俗大好きっ子でしたよ。仕事の話はそっちのけ。

そして定石通りボッタクられたときの話を始めました。
僕より3歳上で、現在41歳。ボッタクられたのは25、6歳のことなので、15年くらいの前の話なのだけれど、まるで昨夜起こったことのように詳細に喋ってくれましたよ。
店の怖いおにいさんに銀行のキャッシュカードを巻き上げられ、何時間も掛けて金を下ろしに行かれ、その間にも料金を加算され、やっと解放され、お店のおねえちゃんに「お金たくさん使ってくれたからご馳走してあげる」と言われてホイホイついて行き、トイレに行っている間に財布から金をスられ、一晩(と言うか翌夕方まで)で40万円が消えたと笑っていました。

25、6歳で40万円は僕だったら笑っていられないですが、上司は喜々としてその話を2時間近く語り尽くしましたよ。
しかもその後も風俗遊びはやめられないようで、今以て「こないだ行ったサロピンがね」とか言い出す始末。なんか尊敬しちゃう。

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