2006-07-26 (Wed)
人が死ぬということは
「ドリーム・プレス社」という番組で、本田美奈子.の追悼企画を放送していたので、途中からですがチラッと見ていました。彼女の早世が話題に上るにつけ、僕の頭をよぎるのは、ほぼ同じ時期に亡くなった母方の祖父のこと。
僕は横浜、祖父は熊本で暮らしていたので、僕が物心つく前も含めて、祖父に会ったのはおそらく4、5回だろうと思います。20歳を過ぎて2度ほど会う機会がありましたが、高齢のために、僕が誰だかわかっているのかも定かではありませんでした。
亡くなったのは実に98歳。大往生と言って差し支えないだろうと思うし、死因も老衰。僕は葬儀に参列すべく、何年かぶりに熊本に行きました。
告別式。別れの挨拶を、一緒に暮らしていた僕の従兄妹(内孫)が読み上げました。それまで気丈に振る舞っていた彼らが「じいちゃんがいなくて寂しいです」と声を詰まらせている姿に、僕も涙が堪えきれませんでした。ほとんど話した記憶もなく、大往生だった祖父の死は、僕にとって悲しいとかいう次元ではなかったですが、それでも涙が止まりませんでした。
誰かが死んで悲しいと思うのに、年齢は関係ないと思うんです。
38歳で亡くなったから悲しいのではない。たとえ98歳だろうと、悲しいと思う人はいる。それが生きていた証でもある。僕はそのときに、そんなことを実感したのでした。
それから数週間後、祖父にとって何人目かの曾孫が誕生しました。僕の双子の甥っ子です。