2000-09-14 (Thu)
We need to be loved.
昨日の続き。
「愛」があるとすれば、それは何か?
答えはありません。100人に聞けば100通りの答えがあるでしょうね。いずれにせよ、客観的に説明づけることは無理だと思います(そういう意味では「唯物論」とは相容れない)。
僕が考える「愛」とは。
♪愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気が付けばそこにある物 (作詞:桜井和寿)
Mr.Childrenの『名もなき詩』の、この部分の詞を初めて聴いた時に、強く感じたんですよ。“そこにあるもの”だと。「誰かを愛そう」と思っても、じゃあどうする? 「この人を好きになりたい」と思っても、どうすればいい?
何かある種の、あるいは何か特定の行動をその人に注げば、それで「愛する」というものではありません。意識や理性じゃコントロールできないものだから。詰まるところ、“ある日気がついたら、そこにあった”ってことなんですよ。
それと、「注ぎ手」より「受け手」に因るところが大きいような気がします。
人間にとって「誰かを愛する」ことはもちろんだけれど、「誰かに愛される」ことって、すごくすごく大切だと思うんです。愛されることに欠如している未成年たちが、昨今大変な事件を次々と起こしています(もちろん、原因はそれだけじゃないだろうけど)。「愛されている」と感じることは、人間には必要なこと。
でも、それを感じ取る“心”が、時代の中でささくれ立っているのかも知れませんね。
“人はパンのみに生きるにあらず”(「旧約聖書」申命記8章3節より)