2007-08-15 (Wed)
終戦の日に思う
この世に人間が存在する限り、争いって絶えないものなのかも知れない。家族でさえ、喧嘩や言い争いがあるのだから。まして違う価値観を持った国、宗教の対立、貧富の差は、より根深い争いの種になるわけだ。それは歴史の中で一度も消えたことのない悲しい事実。
戦争がなくならないものだとしたら、自分の身は自分で守る。常に誰かに侵略されはしないかと怯えながら暮らすくらいなら、自ら打って出ればいい。攻撃は最大の防御。日本に手出しをしたら痛い目に遭うと、思い知らせてやればいい。武器を持て。憲法9条を変えろ。
デフォルメしているのは認める。でも、僕はこういう考え方に賛成はできない。
戦争は人が死ぬ。自分たちが死ななければ、ほかの人が死んでもいいなんて理屈は、あってはならない。もし今、最愛の人を誰かに殺されたら、僕はきっとそいつを憎むだろう。もし今、僕が誰かを殺したら、その人を愛していた人たちに僕は憎まれ罵られるだろう。憎しみを生み続けるのが戦争なのだ。
戦争がなくならないものだとしても、自ら仕掛けてはいけない。政治とは無関係な犠牲者を生んではならない。憲法9条の定義はそうしたものであって欲しい。
戦争が終わり62年。世界有数の軍事力を保有するようになった日本。その力が暴走しないためにも、憲法9条が押し留めてくれているのではないかと思う。