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ウェストサイド物語

West Side Story

  1. イーストサイドからウェストサイドへ
  2. 衝撃のミュージカル映画
  3. さらなる衝撃~舞台版サムホエア
  4. 1995年の舞台より

どんな映画が好きかと聞かれて《タイタニック》と答えるより《ウエスト・サイド物語》と言う人が好き。そんな具合で、僕はこの映画をちょいちょい引き合いに出すのは、趣味嗜好が近しいってこともそうだが、スイートなディカプリオの恋愛映画よりも、「やっぱりジョージ・チャキリスが最高よね」って言っちゃうような感性の人が好きだからだ。

まあ、そんな酒席の軽口はさておき、本題に入ります。

イーストサイドからウェストサイドへ

初めて映画《ウエスト・サイド物語》を観た時の衝撃は忘れられない。いろんなご意見があると思うが、僕が真っ先に衝撃だったのは・・・・・いい歳の青年たちが、突然喧嘩をしながら踊り始めたことだった。何てったって出だしはジェット団の指パッチンから始まるのだ。街を闊歩しながら、時々腕を振り上げてジャンプしてみたりして、とにかく誰も彼もがやたらと踊り出す。僕は面食らってしまい、なかなかその世界に入り込めなくて、もう「なんだ、なんだ、なんだ??」って感じだったのだ。

マンハッタンのウェストサイド地区。ヨーロッパ系の不良少年グループ“ジェット団”は、プエルトリコ系移民のグループ“シャーク団”と縄張り争いをしている。プエルトリコの娘マリアは、ダンス・パーティーで元ジェット団のトニーに出会い、二人は恋に落ちる。だが、縄張り争いの喧嘩の末、双方のリーダーが殺される。しかも、マリアの兄であるベルナルドを刺したのは他ならぬトニーであった。周りが許さぬ恋ならばどこか遠くへ行こうと決心する二人だったが、仲間を殺され復讐を狙うチノに、トニーはマリアの目の前で撃たれるのだった――

作品の発案者は、ブロードウェイの偉大な振付師ジェローム・ロビンズである。最初の案は、「ロミオとジュリエット」を現代のニューヨークに舞台を置き換え、ユダヤ人の娘とカトリック教徒の少年を主人公に、宗教的対立を軸にするもので、移民街の多かったロアー・イーストサイド地区が舞台の、その名も“East Side Story”。その案を、ミュージカル《オン・ザ・タウン》を共に成功させた作曲家レナード・バーンスタインに持ち掛けたのが1949年のことであったらしい。脚本を当時新進気鋭の作家アーサー・ローレンツ が担当することになったが、お互いの仕事のスケジュールが合わず、企画はいったん頓挫。だが数年後、当初案から、人種の違う不良グループ同士の諍いというように設定を変更して、企画が再び動き出すのだった。ちなみに作詞を担当した今やブロードウェイの大御所スティーヴン・ソンドハイムは無名の新人だった。

カリブ海に浮かぶプエルトリコは、1898年の米西戦争の末、スペインからアメリカの領土となった。20世紀初頭、多くのプエルトリコの人たちがアメリカへ渡ったが、人種差別の激しかった当時のアメリカでは、彼らもまた差別の対象だった。またその頃、情勢不安のさなかニューヨークなどの都市では街の少年不良グループによる事件が跡を絶たなかった。それら様々な社会問題を足掛かりに、ヨーロッパ系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団の抗争という基本プロットが作られていった。物語の舞台もプエルトリコ系移民が多く暮らしていた“アッパー・ウェストサイド”に変更された。

舞台《ウェストサイド物語》が初演されたのは1957年9月26日、ウィンターガーデン劇場だ。ジェローム・ロビンズの独創的な振付はドラマと見事に一体化し、バーンスタインによる珠玉の名曲との融合によって、作品はたちまち評判を呼び、734回の公演を行った。その後、オリジナル・キャストによるツアー公演を経て、再びニューヨークで249回の凱旋公演が行われる大ヒットとなった。だが、トニー賞では《ザ・ミュージックマン》がほぼ賞を独占し、《ウェストサイド物語》はわずかに装置のオリバー・スミスと、振付でジェローム・ロビンズが受賞しただけ。きっと1950年代の当時にあっては、いささか革新的に過ぎたのだと思われる。

衝撃のミュージカル映画

舞台のヒットを受けて、ジェローム・ロビンズは映画化を決めた。監督にはRKOのフィルム・エディター出身ロバート・ワイズが当たり、ロビンズ自身も共同監督を務めた。出演者は厳しいオーディションを行って選りすぐりのダンサーが集められ、実際にマンハッタンでロケーション撮影が行われた。映画冒頭のマンハッタンの俯瞰撮影から指先にアップするカメラ・ワークなどは今もって語り草だが、エディター出身のワイズの手腕はそんなもんではない。それまでミュージカル映画では、ダンス・シーンとなれば固定カメラで長回しをして、シーン全体をフル・ショットで舞台のように見せるのが専らだった。だが、ワイズはダンスのシーンを細かくカット割りし、少年たちの迸るエネルギーをスクリーンいっぱいに描き出した。この手法は、当時としては画期的なことだったに違いない。こうして舞台同様、アメリカが抱える社会問題をベースに、それまでのミュージカル映画にはないリアルで躍動感溢れる作品となったのである。1961年のアカデミー賞では実に11部門も受賞している。

初めて観た時は面食らってしまった映画《ウエスト・サイド物語》だが、ロビンズの振付の凄さは、踊りなど全く知らない僕でも理解できた。それまでミュージカルに出てくるダンス・シーンと言えば、“アステアロジャースの夢見るパ・ド・ドゥ”みたいなものしか見たことがなかったものだから、不良少年たちのやり場のないエネルギーをダンスで爆発させる様は、本当に衝撃的だった(ただし、それが素直にカッコイイと思えるようになったのは、だいぶ後)。

バーンスタインの音楽の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。『トゥナイト』に代表される甘美なメロディーは言うに及ばず、スペイン音楽風の『アメリカ』やジャズ・テイストを盛り込んだ『クール』など多彩で独創的。畑であるクラシックの技法や理論が巧みに用いられていて、有名なところでは全3音音程(増4度)の使用だ。全3音とは古来、ディアボルス・イン・ムジカ(=音楽の悪魔)と呼ばれ使用を避けられた音程だが、ここではトニーとマリアの行く末を暗示するのに効果的に使われている。それに圧巻はジェット、シャーク、アニタ、トニー、マリアによる『五重唱』である。これなんかはまさしくオペラ的な処理で全編中の音楽的なクライマックスを作り上げ、聴く者を圧倒する。

さて、出演者の中ではジョージ・チャキリス を真っ先に挙げたい。ポスターなどに使われている左脚を高らかに上げるポーズは、まるでギリシア彫刻のようだ(ちなみにチャキリスはギリシア系アメリカ人)。言っちゃ何だがカッコ良さではトニー役のリチャード・ベイマーなど及びもつかない。舞台を観るとわかるが、ベルナルドという役はソロ・ナンバーがあるでもなく、下手すると他の諸役に掻き消されてしまう。映画では『アメリカ』のシーンなどで多少出番が増えたとは言え、チャキリス自身の切れ味鋭いダンスと気品のある存在感なくしては、オスカーは手にできなかったはずだ。余談だが、彼はロンドンの舞台でリフ役を演っていたと言うから驚く。

アニタ役のリタ・モレノも華麗なダンスと存在感でオスカーを受賞した。トニーにベルナルドを殺され、それでもマリアの恋心に理解を示し、手助けしようとするが、ジェット団に乱暴されて悲劇の引き金を引いてしまう重要な役どころ。その分見せ場もあるわけだが、わずか一日に起きる出来事の中で、大胆且つ細やかに心理の変化を演じているのは見事。歌はベティ・ワンドの吹き替えとなっているが、『五重唱』ではマーニ・ニクソン(マリアの吹き替え担当)の声も聞こえる。ちなみにモレノはプエルトリコ出身。

もちろん、主役二人を忘れてはいけない。クレジットのトップに来るのは、《理由なき反抗》ナタリー・ウッドで、元からのスターらしき人は彼女一人ではなかろうか。相当な数の女優さんの中から選ばれたというだけあって、ピュアな魅力がスクリーンを華やがせる。さて、僕が大いに引っ掛かったのがトニー役のリチャード・ベイマー。かの《史上最大の作戦》に出ていたりする俳優なのだが、彼のキャスティングはどうなのだろうか? リフ(ラス・タンブリン)よりも兄貴分に見えてポーランド系で――となると彼みたいなタイプがベストなのだろうか? 激しいダンス・シーンがあるわけでもなく、歌は吹き替え(ジム・ブライアント)。だったら、もうちょっと男前はいなかったんだろうか。ナタリー・ウッドとのツー・ショットも、どっか冴えない気がしてならない。

ところで、ビデオなどを繰り返し見ていて僕が気になるのは、A-ラブ役のデヴィッド・ウィンターズ。豊かな表情といい、勝ち気な態度といい、ジェット団の中でもよく目を引く。ご覧になる機会があったら、ぜひチェックして欲しい。絶対に気になるはず。

さらなる衝撃~舞台版サムホエア

こうして映画から入り、初めて劇団四季の舞台を観たのは1991年の公演だった。四季がかれこれ17年の歳月をかけて手掛けてきた舞台ではあったが、何しろ“人種差別”がテーマの根っこにあるので、見るまでは「あれを日本人ができるんだろうか・・・」と少し不安だった。が、そんなことは何でもなかった。そこは翻訳劇なら多かれ少なかれ施す工夫であろうが、ジェットは髪を脱色し、シャークはドーランで肌を浅黒くしていた。また、映画版でもそうだったが、衣装を寒色系(青、黄)と暖色系(赤、紫)とに分け、体育館でのダンスのシーンなど鮮やかに目を射る。

何よりも圧倒されるのは、あのジェローム・ロビンズ振付のダンスをまさに目の前で踊っていることだ。映画の中でラス・タンブリンやジョージ・チャキリスがやっていたのと同じ振付を「生」で踊っている。これは凄いことだ。日本人ダンサーもこんなにやるのか! て言うか、全然見劣りしない!と感嘆せずにはいられなかった。

さらに驚いたのが、第2幕『サムホエア』というシーン。ベルナルドを刺したトニーがマリアに事のいきさつを説明し、♪そして遠くへ行こう~ (中略) どこかに二人の場所がある~ と歌った後、セットが飛び、柔らかい空色の照明が当たるカラ舞台。映画ではトニーとマリアでデュエットしていたナンバーを、舞台裏の女性歌手が歌う中、これぞジェローム・ロビンズの真骨頂と言うべき幻想のバレエ・シーンが用意されていたのだ。映画をはじめに観た人なら、必ずビックリするであろう。

また、映画版は随所に手を加えていることも解る。効果の違いをいちばん感じたのが『クール』と『クラプキ巡査どの』の入れ替えで、緊張感の伝わり方が映画と舞台ではまったく異なる。これは『サムホエア』同様、メディアによる再現方法の違いなので、どちらが良いとか悪いとかではなく、好みの問題なのだが、僕はかなり「へぇ~」と思った。ほかにも、『アメリカ』のシーンにベルナルドたち男性はいないし、『すてきな気持』が第2幕冒頭に置かれて、それまでの緊張感をフッとほぐしたりと、相違点の一つ一つが面白かった。

出演陣はまったくもって適材適所。“他の諸役に掻き消されがち”と書いたベルナルドには加藤敬二。トップ・ダンサーで見るベルナルドの豊かなこと。恋人アニタ役には山田千春。エキゾチックな顔立ちも手伝って、こういう大人っぽい役を演らせたら最高で、細かい心理描写を求められるこの役も美しくこなしていた。リフは荒川務で、彼は四季でのデビューがこのリフ役だけあって、芝居もダンスも盤石の安心感。その他、ロザリアに青山弥生、エニボディズに礒津ひろみ、グラジェラに八重沢真美、アクションに栗原英雄などなど、脇を固めるダンサーたちも他の演目なら主役級の人がズラリと揃っていた。また、シュランク警部には松宮五郎、ドラッグストアの店主で少年たちの良き理解者でもあるドックに井関一と、大人たちの役にベテランの演技派を配するところも嬉しかった。さらにオマケで、『サムホエア』は録音だったが志村幸美の歌声だった。

マリア役には野村玲子。まさしく彼女の魅力全開で、歌、芝居、キャラクターなどどれをとっても彼女以上の適役はいない。子供のように「襟ぐり下げて」と頼んでいる無邪気な少女から、チノたちにピストルを向ける変貌が見事だった。さらに相手役トニーには芥川英司。ちょっと気恥ずかしくなるような爽やかさだったが、とにかく歌声が抜群。特にソロ・ナンバー『マリア』の最後のファルセットの一声は、劇場中から溜息が漏れ、拍手に一瞬、間が空くほどだった。

1995年の舞台より

日比谷・日生劇場。東京での本公演の意気込みなのか、前回はテープだったが今回は生オーケストラでの伴奏。

そして役者陣、一新。トニーに石丸幹二、マリアに堀内敬子の若い若い二人だった。すでに幾つかの舞台で拝見している二人だが、どうにも周りとのギャップが激しくて、観ていて落ち着かないものがあった。何しろ、リフに飯野おさみ、ベルナルドに菊池正、アニタに山崎佳美、アクションに内田典英である。1974年に劇団四季が初演した時の大ベテランのリフが弟分なのだから、観てるほうは戸惑うに決まっている。脇を固めるダンス陣は相変わらず高レベルだし、主役の若い二人も懸命に歌い演じていたけれど、いかにも配役のバランスが悪かった。

そもそも演劇は、役者の年齢などを超えて舞台の上で繰り広げられる虚構の上に成り立っているのではあるが、今回の場合、見た目もそうだが実力・実績から来る空気感がバランスを欠いて見えた。

ブロードウェイの初演からすでに40年近くが過ぎようとしているわけだが、今だに世界各地で上演され続け、魅力が色褪せないのは、オリジナル・スタッフの独創性、テーマの普遍性、エンターテインメントとしての総合性の高さに尽きる。今日、依然として民族紛争の絶えない世界であるけれど、舞台幕切れでジェットとシャークの融和が暗示されるように、争いのない世界となり、《ウェストサイド物語》が虚構の物語となるように、そして、時々そのことを思い出させてくれるためにも、この作品を上演し続けていってもらいたい。

[1997.12.19]

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