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はじめに

1963年(昭和38年)東宝劇場、故・江利チエミの主演で《マイ・フェア・レディ》を上演したのが日本で初めてのブロードウェイ・ミュージカルの翻訳上演だったそうだ。僕は以前、テレビで江利チエミが歌う『踊り明かそう』を聴いたことがある。ジュリー・アンドリュース のそれとはずいぶん違う、チエミ節丸出し(キーも下げていた)の『踊り明かそう』だったが、それでもやはりミュージカルという分野のパイオニアであり、彼女のイライザがなければ、今日の演劇の状況は違ったものになっていたかも知れない。そして今や国内でミュージカルの上演が一つもないなんてことは、まずない。いつも日本のどこかで必ず上演している。

けれど、どうだろう? 普段、周りの人たちとミュージカルを話題にすることはあるだろうか? 残念ながら、日本ではまだまだ一部の愛好家によって支えられているのが実情で、ブロードウェイやウェストエンドのように、ミュージカルが市民権を与えられ日常的な存在になっているとは、僕には思えないのだ。

“歌って踊ってオーバーアクション!” そんなイメージが、自己主張が苦手な日本人には受け入れにくいのかも知れない。昔、タモリが「ナイフで刺されて虫の息なのに朗々と歌っている」だとか「アルプスの山の上で突然音楽が流れて歌い出すのはおかしい」などと言っていた。ご存じ《ウェストサイド物語》や《サウンド・オブ・ミュージック》を揶揄してのことだ。まったくその通り。もちろん、お笑い芸人のネタでもあるが、タモリのようにミュージカルの様式が苦手な人は少なくない。

だが、僕が声を大にして言いたいのは、“およそすべての芸術には須く不自然さが付きまとう”ということだ。映画にだってBGMは流れるし、ピカソの絵は自分にはさっぱり理解できないし、歌舞伎の喋り方のほうがよほど不自然だ。結局、それらを否定してしまったら、その芸術はまるっきり成立しない。“不自然”と感じるか“様式美”として受け入れるかで、その芸術に対する好き嫌いが決まってくるのは確かだろう。

まだまだ市民権を得たとは言えないミュージカルだが、僕がこれまで劇場に通い触れた数々の素晴らしい舞台を、自分なりに紹介してみたい。ミュージカルをほとんど観たことない方には少しでも興味を持ってもらえたら、そしてミュージカル・ファンの方には一意見として読んでいただければ嬉しい。かなり言いたい放題なので、不快に思われる方もいらっしゃるかも知れません。あらかじめご了承願います。

[1998.1.3]

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