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オペラ座の怪人

The Phantom of the Opera

  1. オペラ座の怪人は凄かった
  2. 超難役:ファントム・オブ・ジ・オペラ
  3. ソプラノ泣かせの2人のプリマ・ドンナ
  4. 周りを固める脇役たち
  5. 今見せてあげる~

オペラ座の怪人は凄かった

舞台を観終わった後、大抵の人は「いやぁ、凄かったね」と口にする。何がどう凄いのか説明はできないけれど、とにかく《オペラ座の怪人》の世界に圧倒されてしまうのだ。

オークショナーの木槌の音が鳴り響いた瞬間、いや、劇場に一歩足を踏み入れたときから物語の世界へと誘われている。重厚なパイプオルガンの音色とともに客席の真上へと昇っていくシャンデリア。豪華なパリ・オペラ座が目の前に現れ、無数の蝋燭が地下の湖が揺らめく。舞台装置も衣装も照明も演出も何もかもが一体となりガストン・ルルーのミステリー小説を極上のミュージカルに仕立て上げた。

しかし、なんと言ってもいちばんの立て役者は作曲者アンドリュー・ロイド=ウェバーである。彼の音楽なくして“凄い”の言葉はあり得ない。まさしくそれはオペラである。きちんと声楽を習った人でないとおよそ太刀打ちできない至難なスコア。そんな敷居の高いオペラ的要素にロイド=ウェバーならではのポップ感や親しみやすさが加味され、全曲溢れんばかりの素敵なメロディーで構成されている。もっと言ってしまえば、CDを聴いているだけでも、十分に《オペラ座の怪人》の世界を堪能できるぐらいに音楽が「凄い」のだ。

超難役:ファントム・オブ・ジ・オペラ

日本での初演は1988年。日生劇場でのっけから5ヶ月ものロングランだった。いくら《キャッツ》を大ヒットさせた劇団四季とはいえ、まだまだミュージカルというものが市民権を与えられたとは言い難く、しかもロンドン産のきわめて渋めの作品。上演するに当たっては相当の覚悟が必要だっただろう(ちなみに《レ・ミゼラブル》の日本初演はこの前年)。わざわざニューヨークからオリジナル演出家のハロルド・プリンスを呼び、すべての役を座内オーディションを行って決定した。

そして、栄えある怪人役を射止めたのは、なんと市村正親だった。

冒頭にも書いたようにほとんどオペラと言っていい作品の、しかも主役である。このミュージカルで最も美しくロマンティックなナンバー『ザ・ミュージック・オブ・ザ・ナイト』では高いA♭を2度も出し、しかも1度目はファルセット、2度目はフォルテで朗々と響かさなければならない(このナンバーがコケたら舞台がみなコケる)。それをである。ハッキリ言ってさほど歌が巧いとは言えない市村をどうして抜擢したのか? ファントム役を選ぶには2つのアプローチがある。「芝居のできる歌手」と「歌える役者」である。そして、ハロルド・プリンスは少々音が外れても、物語のポイントである怪人の悲恋を十全に演じられるだけの演技力のある役者・市村正親を選んだのだ。このキャスティングは大成功だった。今日に至るも日本における《オペラ座の怪人》の大ヒットはこのキャスティングがあってのことだと僕は思っている。

横暴で自分勝手でありながら、どこか紳士的であり気品がある。世間から疎まれ、孤独の中で生きてきたがゆえに屈折してしまった心は、同時に少年のような繊細な心を持ち合わせている。そんな複雑なファントム像は、けれど演じる側にとってはとても課題が多い。ブロードウェイやウエストエンドでも観たが、どちらも何だかただの居丈高なファントムで、終幕のクリスティーヌとのやりとりになると泣きがわざとらしくてちょっといただけなかった。日本でも市村の跡を継いで多くの俳優がこの役に挑んでいる。初演からダブルでキャスティングされていた沢木順、初演ではシャニュイ子爵を演じていた山口祐一郎芥川英司(現:鈴木綜馬)も年齢を重ねてファントムを演じた。後に出演した今井清隆青山明などいずれも市村より遙かに歌の巧い人ばかりだ。しかし、どの俳優もどこか歌(声)に頼ってしまい、感銘が殺がれることが少なくない。一例を挙げると、第2幕最後の場で怪人がクリスティーヌに「行け、行ってくれ お願いだ」と叫ぶシーン。「お願いだぁーー」の声にビブラートがかかっていたり、和声に合ってしまったり。ここは声の限りに叫んでくれないと。オペラじゃねーんだからよ・・・。

自分の欲望のために平気で殺人までやってのける男である。それ相当な説得力がなければ共感は呼べない。現在までのところ、オリジナルのマイケル・クロフォード以上の怪人役者は日本にはいない(市村は歌唱力がもう少しあれば・・・)。演技力と歌唱力が高次元で融合している「凄い」俳優が現れることを期待したい。

ソプラノ泣かせの2人のプリマ・ドンナ

さて、怪人役ばかりにスポットを当ててしまったが、他の役も一筋縄じゃ行かない。とくに2人のプリマ・ドンナだ。

ヒロインのクリスティーヌは間違いなくオリジナルのサラ・ブライトマンのおかげで大変な役になってしまった。まずはその広い音域である。五線の下のGから3点Eまでを歌ってのけなければならない。加えてファントムとの激しいやりとり、第1幕ではトゥ・シューズを履いて踊ったりもする(サラ・ブライトマンは今でこそオペラ歌手?みたいなことをやっているが、ロンドンで《キャッツ》に出演していたダンサーなのだ)。日本初演では野村玲子保坂知寿がダブル・キャスティングされた。今でこそ音大卒の声楽家が演じることが多いが、この2人はともに四季生え抜きの女優である。彼女らもまた歌唱力以上にその演技力を買われたに違いない。が、2人には演技力はもちろん歌唱力、そして容姿と三拍子揃っていて、まさに文句の付けようがないヒロインだった。その後、何人かのクリスティーヌを観たが、ほとんどが音大を出て声楽家を目指していた人ばかりで、それこそカルロッタも歌えるほどの実力の持ち主だった。劇中ファントムが「よく聞けよ 声は素晴らしい だけど まだまだ道は遠いぞ」と言うが、新橋演舞場で観た吉岡小鼓音など巧すぎて困ってしまったほどだ。

ライバルのカルロッタ・ジュディチェルリであるが、この役もオリジナルのローズマリー・アッシュの超人的な歌声をベースに作曲されており、オペラ・シーンではモーツァルト風の曲からマイヤベーアのグラントペラ風の曲まで様々なタイプのソプラノ・ナンバーを歌わねばならない。音域はやはり上のDもしくはEまでが書かれている。そしてさらに厄介なのは、クリスティーヌ以上に綺麗な声で歌うだけでは済まされないということだ。むしろ敵役としての憎々しさと激しさを歌や台詞で表現しなければならず、コロラトゥーラを歌うようなソプラノ歌手にはかなり喉に負担のかかる酷な声の使い方も要求される。さすがにこの役は本格的に声楽を習った人でないと務まらず、初演では斎藤昌子塩田美奈子らが好演していたが、それでもカルロッタの激しい気性を歌で表現するのは難しいようだった。

周りを固める脇役たち

第1幕第7場に『プリマ・ドンナ』という珠玉の7重唱がある。これこそまさにオペラ!というナンバーなのだが、このナンバーがあるがためになんと脇役に至るまで高度な歌唱力を求められるのだ。

ヒロインの相手役、ラウル・ド・シャニュイ子爵などハッキリ言って引き立て役以外の何者でもない。しかし、それなりの歌唱力と凛々しさが必要で、この役から生まれたスターも少なくない。前記の2人の他に石丸幹二柳瀬大輔などだ。とくに石丸はこの役がデビューということもあり、ガッチガチに緊張した姿が微笑ましかったものだ。まあ、逆に言えばそんなずぶの素人でもある程度形になってしまう、つまりはちょい役なのかも知れない。

ほかにも支配人たちやマダム・ジリーは声楽的にも高度で、なおかつ演技(とくに前者はコミカルな)も必要とされる。さらにちょい役のウバルド・ピアンジなんて登場場面は少ないのに、開幕早々ハイCを披露しなければならない。ロイド=ウェバーも何考えてるんだか・・・。

今見せてあげる~

東宝の《レ・ミゼラブル》と同様、この作品も長い年月を経て少しずつ手を加えられてきた。もちろん版権の都合で大幅な改訂はできないから、その変更は微に入り細に入りというところだ。そしてそれは主に台詞の変更に現れた。「よりわかりやすく、より親しみやすく」である。しかしながら、長く観てきているファンにとっては、観客に媚びを売るだけの安っぽい変更に思えてならない。今以て話題になるのが、'98年に赤坂で上演されたときの「女の心」だ。僕はこの変更がいまだに受け入れらないのだが、ヒロインのイメージ、ひいては作品のイメージを根本から覆すようなこの歌詞の変更は何を意図したものだったんだろう?

ま、それはともかく、これだけの演じ手にとって大変な役ばかりがズラリ必要なミュージカルだ。素晴らしいパフォーマンスに接したとき、これほど幸せなことはない。もちろん、とにかくゴージャスな舞台を観るだけでも、十分楽しめるのだけれどね。

劇団四季はこのミュージカルを3回録音しているが、おすすめはやはり市村、野村、山口が顔を揃えた初演キャスト盤。だが、噂によると廃盤? 今じゃほとんど四季にいない人たちばかりだから、ま、しようがないか。

[1999.8.20]

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