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ミス・サイゴン

ミス・サイゴン

  1. 鳴り物入りの超大作
  2. 《蝶々夫人》と《ミス・サイゴン》
  3. すべて見どころ~音楽・装置・演出
  4. 1年7ヶ月の帝劇公演
  5. ブロードウェイとロンドンで観て

鳴り物入りの超大作

《ミス・サイゴン》の上演に際しては、ロンドンでもニューヨークでも、そして東京でも文字どおりの鳴り物入りだった。

何しろ、あの《レ・ミゼラブル》の製作チームによる新作ってことだけで話題性十分なのだが、製作費は当時の金額で約360万ポンド、舞台にヘリコプターが舞い降り、ヒロインのオーディションを世界規模で行うなどなど、開幕前から大いに注目を集めていた(後に「メイキング・オブ・ミス・サイゴン」というドキュメンタリー番組が放映された)。

ニューヨークでの上演の際には、主人公2人のキャスティングのことが問題に。とくにエンジニア役にはオリジナル・キャストの英国俳優ジョナサン・プライスがキャスティングされていたが、ブロードウェイの俳優組合がアジア系の俳優を起用するよう主張。プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュと対立し、一時は上演中止を発表するほどの騒ぎとなった。結局はプロデューサーのごり押しで決着がついたわけだが、すでにチケットの前売りが相当出ていたのに上演を取り止めるはずもなく、これもひとつの宣伝のための戦略だったのだろう。また入場料がブロードウェイ史上初の100ドルとされたこともニュースだった。

日本でも、キャストを大々的に一般公募し、ヘリコプターのため(かどうかは知らないが)に日比谷の帝国劇場を2ヶ月もかけて大改装。当初から最低一年以上のロングラン公演を決定するなど、どこへ行ってもとかく話題には事欠かない大作ミュージカルだった。

《蝶々夫人》と《ミス・サイゴン》

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この作品のそもそもの発端は、フランスの雑誌に掲載された一枚の報道写真。公演プログラムやCDのインナーブックレットなどに必ず載っている。

ベトナムの空港で泣き叫ぶ女の子。彼女はベトナム人の母親と元GIの父親との間に生まれた混血児で、今まさに顔も知らぬ父親の元に送られようとしている光景だ。黙って子供を見つめる母親の表情はたまらない。これをたまたま目にした作曲者の クロード=ミッシェル・シェーンベルクは、その光景を“究極の犠牲(Ultimate Sacrifice)”と感じたのだと言う。この写真にインスパイアされ、プッチーニの歌劇《蝶々夫人》をベースにしたミュージカルの構想を思い付いたのだった。

時はベトナム戦争末期の1975年。キャバレー“ドリーム・ランド”から始まる。戦争で両親を亡くしたショーガールのキムは、若いGIのクリスと恋に落ち子供をもうけるが、サイゴンの陥落でクリスは本国に送還されてしまう。3年後、バンコクに流れ着いたキムはクリスが迎えに来るのを待ち続けていたが、現れた彼にはすでにアメリカ人の妻がおり、夫婦に子供を託し自殺をする――

とまあ、ざっとこんな話である。人物設定などはそのまま《蝶々夫人》だ。蝶々さんはキム、ピンカートンはクリス、シャープレスはジョン、ケイトはエレンという具合。蝶々さんが『ある晴れた日に』と歌えば、キムは『今も信じてるわ』と歌い、結婚式のシーンでは、彼のほうは全然そのつもりじゃないのに、彼女一人が盛り上がってるところとか、情景も似通っている。

むろん、相違点もある。一つめは狂言回しの“エンジニア”と呼ばれる役である。作者曰く、《蝶々夫人》のゴローを膨らませたキャラクターだそうで、“ドリーム・ランド”のポン引きをしながら、虎視眈々とアメリカに渡るチャンスを窺っている。そのためにはショーガールの保護者代わりにもなるしたたかな男だ。大部分は狂言回しのような役回りだが、要所でストーリーの重要なキーパーソンにもなる。時に哀れにさえ見えるこの男の放つ強烈なアメリカへの憧れが物語を引っ張っていき、また、虐げられたアジアの悲しみを強調する。

二つめはトゥイ。キムの従兄弟であり許婚で、この設定は《蝶々夫人》にはないオリジナル。幼いときに親同士が決めた婚約者であったが、彼はずっとキムを慕い続けていた。だが、彼女にはクリスの子供がおり、トゥイを拒絶する。ベト・コン(≒南ベトナム民族解放戦線)の一員であり、アメリカ人との間に生まれた子供は“血を汚す”と、事実を知って逆上したトゥイはタム(息子)を殺そうとするが、我が子の命を守らんとするキムに逆に撃たれてしまう。

のちに聞いたことだが、ロンドン初演時、トゥイは舞台の端のほうで倒れ、キムは呆然と死体を見つめるという演出であった。西側世界にとってベト・コンは所詮“共産主義の悪の象徴”でしかなく、当然受け入れるべきものとしてトゥイの死を描いていたのだろう。しかし、東京では舞台の真ん中でキムに抱き留められて、彼女の腕の中で死んでいく。「戦争さえなければ、この人と結ばれて幸せに過ごしていたかも知れないのに・・・」 キムは慟哭する。悪の象徴だったトゥイを“アジアの悲しみの象徴” “戦争の犠牲者”としてスポットを当てたことによって、日本版では戦争がどれほど理不尽なものであるかが描かれた。

この2人を登場させたことで《ミス・サイゴン》は単なる《蝶々夫人》ベトナム版とは一線を画す作品となったと思うが、他の登場人物もまた、オペラのままのキャラクターでは現代の感覚には到底受け入れられない。したがって、クリスはただの好色漢ピンカートンとは異なり、ひたすら苦悩に満ちた男に変わっている。戦場で身も心も疲れ果て、キムと引き裂かれアメリカでエレンと結婚した後も、彼女のことを引きずり悩むのだ(まぁ、やってることは一緒だが・・・)。妻のエレンも、夫を奪われまいと悩み苦しむ闘う女性として掘り下げられた。第1幕ではクリスに女を宛う側だったジョンは、第2幕では一転、戦争孤児救済のための活動家になっている。ただキムだけは、蝶々さんとさほど違いがないように思える。西洋から見た“か弱いアジア人女性”のままなのだ。

すべて見どころ~音楽・装置・演出

こうして《ミス・サイゴン》は、1990年代に通用するように仕立て直されたわけだが、《蝶々夫人》同様、ヒロインの自殺という結末が、この点が、この作品に対する好悪を分けるところだろう。
ベトナム女性はもっと逞しく、死という選択は西洋人の勝手なオリエンタリズムと幻想であって、見方によってはアジア女性蔑視と受け止められかねない。そんな意見も多く聞く。

だが、筋立てが気に入らない向きにも、クロード=ミッシェル・シェーンベルクの音楽の素晴らしさは抗しがたい魅力ではないだろうか。《レ・ミゼラブル》と同じように、いくつかのキー・メロディが状況に応じて様々な形で繰り返される。前作ほどの目新しさや凝った調性・拍子などは見当たらないが、舞台となるアジアン・テイストを取り入れたり、アルト・サックスで1970年代の乾いたアメリカ兵の気持ちを表現したりと、状況や雰囲気を音楽で盛り上げる手法がさらに発展したように思う。ソロ・ナンバー、コーラス・ナンバー問わず、メロディーにうねるようなドラマティックさと親しみ易さを兼ね備えているのが大きな特徴だ。

演出のニコラス・ハイトナーの手腕も見事で、前述のようにロンドン初演から演出も少しずつ手を加えていっており、キムとクリスの悲恋に焦点を当てながら、戦争の悲惨さ、アジアの悲しみをきちんと出した。舞台転換も――これはジョン・ネピアの装置に因るところも大きいと思うが――とにかく鮮やかである。

中でもサイゴン陥落のシーン(『キムの悪夢』)は圧巻の一言。音楽の構成、ステージングとも申し分なく、このシーンを観るだけでもチケット代を払うだけの価値があると思えるほどだ。アメリカ大使館の門を境に、内と外から本国へ逃げ帰る米兵たちと現地の人々とが入り乱れ、(表現は変だが)実に整然と混乱が描かれる。この場面は何回観ても胸に迫るものがある。

件のジョン・ネピアの装置も驚くばかりで、本当にヘリコプターが降りてきた。ホー・チ・ミンの巨大な像がそびえ立ち、キャデラックは宙に浮く。サイゴンの風景も、バンコクの街の喧噪も巧く描かれており、話題をさらっていくのも納得であった。ところで、ホー・チ・ミン像は、ロンドン初演の時は倒れた像が起き上がる仕掛けだったらしいのだが、いろいろと事故が多く、'97年にロンドンで観たときはホリゾントから立ったままでせり出してくるだけになっていた(もちろん帝劇も同じ)。

1年7ヶ月の帝劇公演

1992年5月8日
帝国劇場(夜の部)
エンジニア 市村 正親
キム 本田 美奈子
クリス 岸田 智史
エレン 鈴木 ほのか
ジョン 今井 清隆
ジジ 岡田 静
トゥイ 山本 あつし

さて、帝劇での公演は正式オープンから2日目に観た。

日本公演を成功たらしめたのはまたも市村正親だった。劇団四季を退団してから初の大舞台だったが、それまでのナイーブな役柄から一転、このクセの強い男をいとも軽やかに演じていた。市村以外にこの配役は考えられないと言った感じで、数ヶ月後に笹野高史が加わったが、しばらくはシングルキャストでの大奮闘だった。踊りも得意な市村は何しろ動きが軽くて、ナンバー『アメリカンドリーム』などはエンターテイナーの名に相応しかった。

若い恋人役たちはそれぞれ健闘していた。ヒロイン役の本田美奈子はこの頃はまだ素直な好演で、アイドル歌手を脱却し、いくつもの難曲を見事にこなしていた。“この頃は”と条件を付けたのがロングラン公演の難しいところなのだが、初めのうちは硬かった高音が、公演が進むにつれて楽々出せるようになった代わりに、歌唱に灰汁が出てきてしまった。シェーンベルクのメロディー・ライン(とくにリズム)を崩し、まるで演歌のようにベタベタと歌いまくるのだ。僕にはこれがどうしても我慢できなかった。しかもキムのキャラクターとの乖離が目立ち、やたらにキャハハハと笑う。「そんな底抜けに明るい笑い方しねーよ」と呆れてしまった。それに比べると最後まで高音は苦しかったが、入江加奈子のほうがなんぼかマシだった。ただ彼女の場合は素人の域を脱してなかったようにも思う。もう一人、本田が足を怪我し、急遽代役に立ったのが伊東恵里だ。なぜアンダースタディーなのかと思うほど巧かった。音大出身だけあってまず歌が聴かせる。四季に在籍していたこともあり、台詞(歌詞)が明晰に聞き取れるのが非常に良く、演技も堂に入っていたが、高音になるとソプラノ声に頼ってしまうのがメイン・キャストでなかった所以かも知れない。でも、演歌の本田を聴くぐらいなら、多少高音が裏声でも伊東にもっと登板して欲しかった。特にエレン(鈴木ほのか)との二重唱は彼女が随一だった。

岸田智史は声の細いフォーク歌手というイメージを払拭して、しっかりとした太い声も出せるようになっていた。ナイーブな演技も巧く、なかなかの二枚目ぶりで、当時としてはベスト・キャストだったと思う。安崎求は《レ・ミゼラブル》のマリウスも演っていた実力派ということで期待したが、成果は今ひとつだった。クリスの苦悩を表現するのに出てくる超高音がさすがに歌いこなせなかったのか、主要なナンバーでキーを下げていた。それだけが原因ではないのだが、キーを下げた分だけ重たい印象のクリスであった。二重唱『世界が終わる夜のように』でも下げていて、出だしの低音をキム役の女優さんは毎回苦労してるようだった。公演中、代役で宮川浩が演じたと聞くが、残念ながら僕は観ていない。

エレン役ははじめ鈴木ほのか石富由美子がダブルキャストだったが、年明けに石富が抜け、ジジ役と掛け持ちで岡田静が加わった。岡田とダブルキャストだった北村岳子も降板したので、ジジ役には園山晴子が加わった。鈴木はコゼットを演っていた涼やかな声が持ち味で、はじめ聞いたときは意外に思ったが、嫌みのないキャラクターづくりで成功していた。逆に期待ほどでなかったのが石富で、《レ・ミゼラブル》で見せたほどの声量が感じられなかった。音域不適合だったのだろうか? 岡田はジジには良かったが、エレンはどうかというところだし、北村はコケティッシュなキャラを買われいたのだろうが、歌の人って感じではなかった。園山は綺麗にビブラートを響かせていて良かったが、少し線が細かった。

ジョンについては、断然今井清隆に軍配を揚げたい。先に書いた本田とはまるで対極の、音楽の流れに逆らわない歌唱法が好ましく、第2幕冒頭の『ブイ・ドイ』ではハイB♭を軽々と出し、その温かいハイ・バリトンが劇場を包んだ。第1幕での鬼軍曹のようなつくりも面白かった。オープン前のコンサートで注目を集めた園岡新太郎は、残念ながらその評判ほどではないなという印象。踊りの人のイメージだったので、たしかに歌は予想以上に素晴らしかったが、今井と比べるとやはり若干聞き劣りするというのが正直なところだ。

トゥイの3人(山本あつし留守晃山形ユキオ)については三者三様で、キムとの対決のシーンはいずれも工夫が感じられ、説得力のあるものだった。

ブロードウェイとロンドンで観て

あれこれと書いてきたが、何だかんだ言っても日本公演は素晴らしい舞台で、キムとクリスの悲恋ととびきりの音楽劇に単純に感動させられた。だけど、実はこの物語には人種問題ってものが深く関わっているんだという事をきちんと実感したのは、'95年にブロードウェイ劇場で観たときだった(←気が付くの遅すぎ)。クリスやエレンは西洋人で、キムやトゥイは東洋人。帝劇では頭の中でイメージするしかなかったわけだけれど、実際に白人の役者さんがクリスを演じ、ヴィジュアルとして目の当たりにしたとき、自分が東洋人であることの自覚とともに、初めてこの作品に対する批判の意味を理解したような気がした。

1995年3月2日
Broadway Theatre
The Engineer Raul Aranas
Kim Rona Figueroa
Chris Eric Kunze
Ellen Misty Cotton
John Norm Lewis
Gigi Sharon Leal
Thuy Yancey Arias

アメリカ人にしてみれば、未だ傷の癒えきっていないベトナム戦争が題材になっているんだってこと。しかもそれを創ったのは、いわば第三者であるヨーロッパ人なのである。オリバー・ストーンの《プラトーン》など、それまでにもベトナム戦争を題材にした映画や舞台はいくつかあったにしろ、当事者であるアメリカの言わば恥部を正面から見つめるこのような作品を、たやすく受け入れられるものなんだろうかという思いがした。

そんな諸々を引っくるめて、ニューヨークで観た《ミス・サイゴン》は本当に素晴らしかった。役者さんたちも日本より数段素晴らしく、ブロードウェイより勝っていた(もしくは互角だった)のは市村正親と今井清隆くらい。ジョン役はオリジナル・キャストのヒントン・バトル同様、黒人俳優が演じていた。

ロンドンではもう少ししっとりした印象を受けた。ヨーロッパだと言うこともあるのだろうか。アメリカ大使館の門は高い人種の壁であったし、日本公演からだいぶん経っていたので、久しぶりに観るという興奮もあったのだが、それでもどこか公演全体がニューヨークよりも落ち着いた感じがするのだ。僕の中ではむしろ、ここで初演されたのかぁっていう感慨のほうが大きかったかも知れない。

1997年7月8日
Theatre Royal Drury Lane
The Engineer Robert Seña
Kim Ma-Anne Dionisio
Chris Peter Jöback
Ellen Jacinta Whyte
John Richard Lloyd King
Gigi Irene Alano
Thuy Jo Jo La Cerna

それにしてもイギリスには東洋系の俳優は少ないのだろうか? 東洋人役のほとんどがフィリピン人だった。オリジナルのレア・サロンガもフィリピンからはるばる招かれたが、つまりフィリピンにはミュージカル志望の役者さんが多いということだろうか。クリス役はスウェーデン出身、ジョンはここでも黒人だった。

最後にもう一つ。《ミス・サイゴン》はこれほどの作品にもかかわらず、なんとトニー賞を逃している。

この年、受賞したのは《ウィル・ロジャーズ・フォーリーズ》。若くして飛行機事故で亡くなった1930年代のアメリカのスターを描いた、良くも悪くもアメリカ的な作品だった。これはこれで良質の舞台ではあったが、トニーを獲るほどの作品かどうかはいささか疑問だった。実際、《ウィル・ロジャーズ...》は程なくクローズしたが、《ミス・サイゴン》はそれから10年近くロングランした。にもかかわらず、トニー賞では俳優部門の3賞を与えてお茶を濁したという感じであった。当時はブロードウェイによるイギリス・バッシングだと誰もが思っただろう。だが今思えば、アメリカ人にとってはやはり、ベトナム戦争を扱った作品に諸手を挙げて賛美することのできない特別な何かがあったのかな、と。

しかーし! 作曲賞ぐらいは獲らせたかったよなぁ、せめて。それに装置のデザイン(《秘密の花園》が受賞)だって、金掛かってるだけあって相当見応えがあった。舞台上でヘリコプターが飛ぶなんて、もう二度とお目にかかれないと思うよ。

[2001.11.6]

オリジナル・スタッフとロンドン公演、ブロードウェイ公演の初日キャスト

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