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訳詞と日本語

僕は、ブロードウェイやロンドン産のミュージカルの翻訳上演を観るのが好きだ。本場で評価を受けた一流の舞台を、日本語で観ることの幸せ。その中でも特に興味があるのが、ミュージカル・ナンバーの訳詞である。

島田歌穂が日本語で歌う『オン・マイ・オウン』に感激したのが、ミュージカルを好きになるそもそものきっかけだったからだと思うが、英語で聴いていた曲が日本語で歌われることに、僕はことのほか上気する。

海外のミュージカルを日本語で上演する際には、ほとんどの場合、翻訳家と訳詞家とは別々のことが多い。なぜなら、訳詞というのはテクニックを伴う作業の領域だからだ。

改めて書くまでもないが、「歌」に乗せる際の英語と日本語の違いは大きい。《サウンド・オブ・ミュージック》の超有名ナンバー『ドレミの歌』の中の、マリア先生の台詞を用いさせてもらうと“So we put in words. One word for every note.”である。英語では、一つの音符に一つの「単語」が乗る。しかし日本語は従来、一つの音符に一つの「音(おん)」しか乗せないのだ。

ここでよく引き合いに出されるフレーズが“I love you.” 英語ではたった3音節だが、直訳すると“私はあなたを愛してます”という冗長な日本語になる。もちろん、日常会話でこんな言い方をする人もあまりいないと思うが、“I love you.”と同じ3音で表すとしたら、“好きだ” とか “好きよ” と、主語・目的語は省略せざるを得ない。従って、英語の曲に日本語詞を付ける場合、言葉の情報量がどうしても少なくなる。

この難問に取り組んでいるのが、ほかでもない訳詞家なのだ。これが台詞であれば、枠にとらわれずに自由に表現できるが、「歌」の詞の場合、音楽という枠が決まっているので、言葉が余っても音符を増やすことは出来ない。非常に制約された中での、まさに言葉探しの作業なのだ。

僕が訳詞に強く惹かれるのは、実はこの点にある。このことを考えるとき、必ず思い浮かぶのが俳句だ。5・7・5 の限られた字数の中でいかに多くをイメージさせるか。少ない情報でいかに状況を的確に表現できるか。日本語訳と俳句に共通する醍醐味だと思うのだ。

古めのミュージカルは、ナンバーもいわゆる挿入歌的なものが多かったので、少々の意訳は許されると思う。《南太平洋》の『魅惑の宵』や《回転木馬》の『もしもあなたを愛したら』などはあまり逸脱しなければ、内容をすべて言葉にしなくても状況にあったラブ・ソングで構わないと思うが、比較的最近の作品は、ミュージカル・ナンバーがストーリー展開に直結しているものが多く、あまり言葉を削ってしまっては物語が伝わらない。《オペラ座の怪人》や《ミス・サイゴン》などだ。ほとんどが歌で構成されたこの手の作品では、訳詞家は本当に苦労が多いだろうと思う。

下の例はご存じ《レ・ミゼラブル》の『オン・マイ・オウン』の一節だが、まさに名訳だ。

The world that's full of happiness that I have never known.

これを直訳すると“私が知ることのない幸せに満ちた世界”となるが、これを岩谷時子はこんな風に音符にはめ込んだ。

“幸せの世界に縁などない”

エポニーヌという少女を物語るのに、これ以上の言葉はあり得ないと思うほど。しみじみ日本語って素晴らしいなぁと感じるのだ。

[1999.2.16]

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