ジプシー
ジプシー
主人公はストリッパーの母親
偶然だが《ウェストサイド物語》に続き、またまたジェローム・ロビンズ、アーサー・ローレンツ、スティーブン・ソンドハイムのトリオが創った作品を観ることになった。
1957年に出版されたジプシー・ローズ・リーの自伝を基にしたミュージカルで、彼女の幼少期からストリッパーとして成功するに至るまでを描いた物語――ではなくて、彼女の母親ローズの物語だ。
ローズは、娘のルィーズとジューンをヴォードヴィルのスターに育てようと、片っ端からオーディションを受けさせていた。だが、なかなかチャンスを掴めずにいたそんな時、劇場で出会ったハービーをマネージャーに迎え、妹のジューンを主役にしたショーを上演させてもらえるようになった。それから数年、相変わらず子役ショーを上演し続けていたが、成長した子供たちのパフォーマンスは間抜けに見え、ローズのショー・スタイルは時代と合わなくなっていた。そんな折り、ローズの期待を受けていたジューンが一座の少年タルサと駆け落ちをしてしまう。だがローズは、ジューンに比べて才能がないと思ってきたルィーズを、今度はスターにしようと決心する。しかし、ローズの考えるようにはルィーズには演じられなかった。ある日、ハービーの手違いで一座はストリップ劇場と契約してしまうが、生活のためにそこでショーを上演し、それを最後に芸能界を諦めハービーと結婚することを決意する。ところが公演最終日、主役のストリッパーが逮捕されてしまい、ローズはルィーズを代役にしたいと申し出る。やがて、ルィーズはバーレスクのスターとなるが、ローズの思い描いていた生活とはかけ離れていく。ローズは言う。「自分の才能に気づいた時には、もう遅すぎたんだよ!」こうして自分の夢を娘に託し、スターを育て上げたのだ――
ジプシー・ローズ・リーは1914年生まれとのことだから、物語は1930年代頃になるだろうが、当時ヴォードヴィルとバーレスクというのは、どういう位置関係にあったのだろうか。不勉強なのでその辺のことはよくわからないが、劇中の台詞から察するに、少なくともひとたびバーレスクの世界に足を踏み入れると、ヴォードヴィルには二度と戻れなかったらしいことは間違いなさそうだ。“ストリップに出演する”=“三流芸人”ということだろう。だが、彼女はバーレスクの世界で一流となり、その後ブロードウェイの舞台や映画にも出演するスターとなったのだ。写真などを見ると、ジプシー・ローズ・リーという人はとてもキュートで、この人自身が主人公でも当然良さそうなものだが、着目したのはママ・ローズ。そこが並のクリエーターたちとは違うと思わずにはいられない。
オリジナル・プロダクションの主演はエセル・マーマン。コメディの女王であったマーマンは、それまであまりドラマティックな役に恵まれなかったが、ママ・ローズ役は彼女の女優としてのさらなる一面を見せ、《アニーよ銃をとれ》と並んで、彼女の代表作となった。共演はジャック・クラグマン(ハービー)、サンドラ・チャーチ(ルィーズ)、レーン・ブラッドバリー(ジューン)ほか。
作曲は当初、作詞を担当しているスティーブン・ソンドハイムが食指を動かしていたらしいが、エセル・マーマンの意向で ジュール・スタインに決まった。こうしてミュージカル《ジプシー》は1959年5月21日にオープン。702回の公演を行い1961年3月25日にクローズしたのち、同プロダクションで全米各地で公演も行っている。ただし、トニー賞(1960年)は、《サウンド・オブ・ミュージック》《フィオレロ!》に阻まれ、一部門も受賞していない。とは言え、強烈な個性の主人公にスターを擁し、しかもバックステージ物というのは魅惑の素材であるためか、映画化やリバイバルもされている。ジュール・スタインの音楽も今もって人気が高い。
日本での初演は1982年で、ママ・ローズに草笛光子、ルィーズにMIE、ハービーに山内賢ほか。
貫禄! 鳳蘭のママ・ローズ
1989年11月16日、ブロードウェイのセント・ジェームズ劇場で《ジプシー》のリバイバル公演がオープンした。主演は映画やテレビでお馴染みのタイン・デイリーで、1990年のトニー賞では、リバイバル作品賞、主演女優賞を受賞。トータル477公演のヒットとなった。
このヒットを受けてかどうか、1991年7月に新宿の厚生年金会館で上演された。主演には鳳蘭。まさに堂々たるママ・ローズだった。そしてもう一つの話題は、トップ・アイドル宮沢りえが舞台初挑戦でしかもストリッパー役(ちなみに世の度肝を抜いたかの「Santa Fe」の発刊はその年の11月のことである)。
あまり予備知識もないまま劇場に行ったのだが、聞きしに勝るステージママだった。とにかく終始怒鳴りっぱなし。あんなに怒鳴っていては喉をダメにしちゃうんじゃないかと心配してしまうほどの頑張りぶり。ここまで自分の夢を押し付けられたら子供はたまらないだろうなと思わせる強烈な母親像で、ひとつ間違えるとすごく嫌な女になってしまうところだが、鳳蘭は抜群のコメディ・センスで、そんなママ・ローズを憎めないキャラクターにしているのがさすがだった。しかも、ほんのりとコケティッシュなところが良く、ハービーに求婚されるのも納得で、この役をここまで演じられるのは、日本には彼女しかいないと断言して良いだろう。
だが、実のところ良かったのは鳳蘭だけで、舞台そのものの成果は今ひとつと言わざるを得なかった。
アンサンブルを含め出演者が多くなくて、新宿厚生年金会館の大舞台がスカスカに感じられたのも良くなかったし、ストリッパーとして成功していく下りも貧相でテンポも悪かった。特に気になったのは暗転が多いこと。演出は初演と同じ篠崎光正だったが、そちらはどうだったのだろうか。
共演陣もいまいち精彩を欠き、と言うより鳳蘭との実力に開きがあるのが、あからさまになってしまっていた。宮沢りえは、辛うじて第2幕後半で見せた芝居に俳優としての将来性を感じさせるものがあったが、とにかく話題ばかりが先行し、舞台俳優としてのベースは二の次と言ったところだった。妹のジューンを演じたのは岩崎ひろみだったが、印象としてはちょっと大きくなったアニーという印象で、歌も動きも元気いっぱい、母親に反発するシーンなどもアニーみたいで困ってしまった。ハービーには瑳川哲朗で、やはり鳳蘭とでは釣り合わないのが痛かった。歌も決して上手とは言い難く、しかもいまいちセクシーでないのがキャスティング・ミス。ステージママとしてのローズと並行して、女性としてのローズの場面でときめかないのだ。
さらに、アンサンブルのレベルに不満が残った。それは例えば、第2幕のストリッパーたちのナンバー『特技がいるのよ』なのだが、以前にトニー賞の中継で《ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ》での同シーンが紹介されているのを見たが、その歌とダンスの豊かだったこと。それと比べては酷かも知れないが、ちっとも楽しくないシーンだった。
とにかく鳳ママ・ローズが一人奮闘していることが目に付いてしまい、音楽的にも彼女以外の人が歌い出すと、ジュール・スタインの音楽が途端にショボく聞こえてしまうのにも困ってしまった。ストーリーは非常に興味を惹くだけに大変残念だった。
テレビ映画版と悲しきステージママ
1993年に米CBSが製作したテレビ映画がある。主演はベット・ミドラーで、のちにビデオで観たのだが、改めてストーリーの楽しさを実感した。
舞台や映画が好きな人なら、一度は向こう側に立ってみたいと思ったことがあるんじゃないだろうか。僕もかつて遊びで演劇部に入っていたことがあるが、ゆえにママ・ローズの気持ちが解らなくもない。自分には舞台人になるための素質も環境も備わっていなかったから、舞台を観てはあそこが良いだの悪いだのと言って気持ちを満たしているが、ローズは自分に才能があるのに、不幸にもスターになる術がなかったのだ。その気持ちをなりふり構わず娘たちに押し付けてしまった。ところが、結局のところ自分がなりたかったスターに娘がなっても気持ちが満たされるものではない。そこがステージママのツラいところで、本当は自分が拍手喝采を浴びたいのだ。娘たちを愛し、スターにすることに生涯をかけ、スターになれば自分の出番はそこまでなのだ。その気持ちが爆発するのが終幕の『ローズの出番』だ。実在のローズはどういう人だったのだろうか、その後どのような人生だったのか、ミュージカルの先をちょっと見てみたい気もする。
余談だが、舞台では駆け落ちしたまま現れないジューンだが、実在のジューン・ハヴォックはその後も舞台や映画など芸能活動を続けたそうだ。こちらも写真を見るとキュートで、しかもやはりジプシー・ローズ・リーに似ている。
さて、ベット・ミドラーだが、彼女もやはり鳳蘭同様ひたすら猪突猛進のステージママで、まくし立てる英語の凄いこと、凄いこと。歌も抜群に巧く、まったくハマリ役だった。他の出演はピーター・リーガート(ハービー)、シンシア・ギブ(ルィーズ)、ジェニファー・バック(ジューン)など。アンサンブルもレベルが高く、ほとんど舞台版をいじくることなく映像化しているのが嬉しい。テレビ用とは勿体ないほどの見応えだった。と同時に、一流のアンサンブルで再度翻訳上演をして欲しいと思った。今のところ再演はない。
[1998.1.13]