tuneful.jp

HOME > MUSICAL >

アスペクツ オブ ラブ

Aspects of Love

  1. ウエストエンド期待の新作は
  2. 瑞々しい音楽劇
  3. 原作を読んで
  4. 再演、そして手直し

ウエストエンド期待の新作は

イエス・キリスト → アルゼンチン大統領夫人 → 猫 → 機関車 → 恋する殺人鬼・・・

常に奇抜な題材を取り上げて、観客をあっと言わせてきたミュージカル界の巨匠アンドリュー・ロイド=ウェバーの注目の新作は、意外にもごくありふれた人々が登場するラブ・ストーリーである。原作はイギリスの作家デヴィッド・ガーネットの同名小説で、フランスを舞台に男女5人が17年にわたって繰り広げる恋愛模様を描いたものだ。

イギリス人の学生アレックスは、兵役前に立ち寄ったモンペリエで、旅回り興行で出演していた舞台女優ローズに恋し、ピレネーの麓ポーの伯父の別荘で過ごさないかと誘う。しかし、ローズは若いアレックスよりも伯父ジョージ・ディリンガム卿に惹かれ、やがて二人は結婚する。傷ついたままアレックスは軍隊に入隊する。12年後、パリで有名になったローズと再会し、アレックスは住処に招待される。二人の間にはジェニーという娘がいて、年頃になりアレックスに恋をするようになるが、アレックスは元ジョージの恋人でもあるイタリア人彫刻家のジュリエッタと行ってしまうのだった――

かつてジャン・ルノワールが映画化を試みたことがあるそうで、欧米ではそれなりに知られた小説らしい。なのだが、ストーリーにはこれと言ってメッセージ性があるでもなく、ひたすら男女の愛憎が描写されるだけの小説を、何故ロイド=ウェバーは着眼したのだろう。

原作から伝わってくるのは、ヨーロッパ的な「洒落」や「粋」といったもの。とりわけディリンガム卿の生き方は「粋」そのものに映る。何人もの女と恋をし、そこそこの財を持ち、余生はフランスの片田舎でおくる。同じイギリス人であり、今や壮年の域に達してきたロイド=ウェバーは、そんなジョージに、あるいはこの物語にある種の憧れを抱いていたのだろうか。いずれにせよ、奇抜な題材を好んで選んできた彼が、とうとう大人の恋愛を描いてみたくなったということで、事実、オリジナルの舞台ではローズとジョージの大人の恋を中心に展開したと言う。ブロードウェイでも上演されたが、からっきし受け入れられなかったのも、おそらく作品がヨーロッパ的価値観の濃いものだったからではあるまいか。

まあハッキリ言って、原作からしてあまり面白い話とは僕には思えない。作品の魅力は、一にも二にも極上の音楽が物語を進めていくことにある。

とにかく音楽が美しい。メロディーは――ロイド=ウェバーは自身の最高傑作と言っていたが――たとえば《オペラ座の怪人》のような派手さは控え、伴奏もオーケストラの編成が少なめの室内楽風で、一言で言うならば上品かつ洗練された音楽だ。それら十数種類(数えたことはないが)のメロディーが登場人物の人間関係さながらに交錯しながら繰り返し使われ、“音のタペストリー”とでも言うべく、巧妙に紡ぎ合わされている。そしていつの間にか聴く者の心に染み込んでくる、そんな感じなのだ。

ロンドンの初演は1989年4月17日にプリンス・オブ・ウェールズ劇場で開幕した。主人公アレックスには《オペラ座の怪人》でラウル子爵を演じたマイケル・ボール。彼が歌う『Love Changes Everything』は全英ヒット・チャートの上位にランクインした。ローズにはアン・クラム、ジェニーはダイアナ・モリスン、ジュリエッタはキャスリーン・ロウ・マックアレンといった面々。当初、ジョージ役には映画《007》シリーズのロジャー・ムーアがクレジットされていたが、どうやらスコアが歌いこなせなかったらしく開幕直前に降板。結局 ケヴィン・コルソンが演じた。

瑞々しい音楽劇

1992年1月、青山劇場は僕がそれまで体験したどの舞台よりもガラガラだった。まるで幕開き早々の劇中劇のようだった(ま、それよりは幾分マシだったけど)。

僕の見たところ、この作品を上演するにはおそらく時期尚早であった。演出の浅利慶太は「観客のために、そして何よりロイド=ウェバーのためにこの作品を舞台にのせた」と語っていたが、残念ながら《オペラ座の怪人》の作曲家の新作だからと言って客が集まるものではなかったのだ。1980年代後半、日本はバブル景気に沸いていて、大した付加価値がなくても企業は挙ってスポンサーに名乗りを上げ、多様な舞台が盛んに上演されていたが、ミュージカルというものの認知度はまだまだ低かった。その上、この《アスペクツ オブ ラブ》という作品は、前述のようにロンドンではそこそこヒットしたものの、肝心のブロードウェイではまったくそっぽを向かれた。これは当時としては致命的だったろうと思う。芝居のチケットは決して安いものではなく、高い金を払ってつまらないものを見せられたんじゃ堪らない。当然(とくにミュージカルをあまり知らない)観客は、「トニー賞◯部門獲得!」などのネームバリューを重要視するのだ。

《ジーザス・クライスト=スーパースター》の翻訳上演以来、ロイド=ウェバーの作品を日本に紹介してきた劇団四季だったが、《キャッツ》《オペラ座の怪人》の大当たりで調子に乗りすぎたのか、これは手痛い見誤りだった。

それはさておき、舞台そのものの成果はどうだったかと言うと、非常に品のいい良質のものだったと思う。

オリジナルでは、演出にトレバー・ナン、装置デザインをマリア・ビョルソンが手掛け、それは荘厳な舞台だったと言う。原作の雰囲気そのまま濃厚な恋愛劇が展開し、セットもまた壮大なピレネー山脈をバックに、堅牢な装置が次々と転換していくというもの。しかし、それがかえって舞台の流れを削ぐ結果となってしまったのだとか。

浅利慶太は演出を一から練り直し、転換の激しい装置はドレープを多く使って、流れるように運んだ。全体を淡い水彩画のような色調で統一し、まず第1幕をアレックスからローズへの恋心に焦点を当て、第2幕ではジェニーからアレックスへの恋心に焦点を当てた。若い2人にスポットを当てることで瑞々しい印象を打ち出し、副題である“恋はめぐる”というプロットがはっきりし、日本人にもある程度理解できるよう配慮が為されていたと思う。

そして演じ手だが、なんと言っても作曲家最高の自信作とは、取りも直さず歌いこなすのが最高に至難なスコアだった。その至難且つ美しいスコアを忠実に再現する歌唱力が不可欠。というわけで、劇団の中でもトップ・クラスの歌唱力の持ち主を会した実力重視のキャスティングとなった。

主人公の青年アレックスには当時26歳で音大出身の石丸幹二。入団3年目にしての抜擢だった。健闘はしていたが、さすがに芝居での経験不足は否めなかった。まあ、初々しさも手伝って、17歳で登場するとそのままウブな青年に見えて良いのだが、第2幕では30代そこそこの年齢設定のはずなのに、貫禄を出すためなのか白髪混じりの老け(?)メーク。これには苦笑い。歌はデビュー直後よりも固さが取れ、素直な歌唱がとても良かった。

同じく入団3年目で抜擢されたこれまた若干20歳の堀内敬子。ジェニー役は少女そのままって感じでとても可愛く、歌についても今後を期待させる涼やかな歌声で、他の出演者に負けじと難曲の数々に挑んでいた。四季版では、12歳から15歳までを一人の女優が演じるのだが、歌舞伎のぶっ返りのようにショートパンツからスカートへの早変わりで時の流れを見せる。子役をやたらに使えない四季ならではの工夫だった。

ジュリエッタ・トラパーニ侯爵夫人は名バイ・プレーヤーの末次美沙緒で、存在感と安定感は抜群。中ではいちばん捉えにくい役どころだと思うが、きっちりと演じて見せた。

ロンドンでもキャスティングが話題になった初老のディリンガム卿には光枝明彦。彼のキャスティングなしにはこの作品は上演できなかったのではないかとさえ思う。この年代でこれだけ歌える役者が日本にはほとんどいないからだ。それに演技の幅がものすごく広い。まさに「怪優」と称したいほどで、英国紳士も絶妙なウィットを滲ませてさすがだった。

ヒロインのローズには志村幸美。僕はとりわけ彼女の歌声が大好きで、彼女がキャスティングされたから足を運んだと言ってもいい。それまで数曲のナンバーを歌う役はあったにしても、全編を歌い通すというこれぞ面目躍如、打ってつけの役だ。そして、志村は登場から幕切れまで、まさに絶唱だった。本当にその歌が聴けただけで、この舞台を観に来て本当に良かったと思えるほどだった。この他にも、喜納兼徳横山幸江岡幸二郎といった実力派が脇を固め、音楽的に稀に見るレベルの高さだった。

原作を読んで

ここからは余談。舞台版とデヴィッド・ガーネットの原作とではところどころに相違がある。音楽に乗せて物語がさらさらと流れるように展開していくので、原作の枝葉末節を知っておくと、より楽しめると思う。

まずアレックスの名であるが、原作ではファミリー・ネームは“ゴライトリー”。考えてみれば解るのだが、ジョージは母方のおじさんなので“ディリンガム”ではないはずなのだ。それと、劇団四季のプログラム等を見ると一部“叔父”と表記してるものがあるが、アレックスの母親はジョージの妹に当たるので、“伯父”が正しい。

ローズはディリンガム卿が破産の知らせを受けた後、「私はお金が目当てじゃない、結婚して」とばかりに求婚するが、小説では結婚したのちに破産し、それをきっかけにローズはパリで女優として活躍を始め成功を収める。

ジョージが余生を過ごしているのはポーの山荘ではなく、老後の愉しみのために購入したシノンの葡萄園。

舞台ではその存在がものすごく曖昧なヒューゴという青年。原作ではヴァンサンという所謂ローズの“つばめ”に当たる。

物語には3つの劇中劇が登場する。モンペリエでの失敗作、ポーの別荘で戯れに演じる芝居、パリでのローズの成功作だ。オリジナルの舞台は原作に忠実で、ご存じノルウェーの劇作家イプセン「棟梁ソルネス」、フランスの作家メリメ「出来心」、ロシアの文豪ツルゲーネフ「村のひと月」である。ただし、劇団四季が上演したときはこのうち「出来心」を「シラノ・ド・ベルジュラック」に置き換えていた。

もうひとつ余談だが、舞台にアルマニャックなる酒が出てくる。ブランデーだ。僕はブランデーがあまり得意ではないので、アレックスが吹き出してしまうのもわかる。何しろアルコール度数が40度。17歳の少年にストレートで飲ませたら、そりゃ吹き出すでしょ、普通。原作でもローズがアレックスにアルマニャックを勧めるくだりがあるが、吹き出したどうかは定かではない。

ところで、タイトルの《Aspects of Love》だが、この“Aspect”という語が日本人には理解しにくい。“局面・様相”などと訳すが、してみると「愛のいろんな姿」とでも訳したらいいだろうか? 1957年に橋本福夫が翻訳して本作を日本に紹介したときは「愛のさまざま」というタイトルだったそうだ。どれもピンと来ない。1991年に再刊されたときの表題は「アスペクツ・オブ・ラブ」だった。

[1997.12.2]

再演、そして手直し

初演があまり良いとは言えなかった興行成績だったためか、再演はないと噂されていたのだが、実に6年ぶりに上演された。大阪のMBS劇場。さすがに6年も経つと観客の作品に対する興味が膨らんでいたのか、青山劇場からは想像もできない盛況ぶり。満席だった。

演出は若干練り直されていた。しかし、残念ながらこの手直しには僕は納得いかなかった。まず、全体に瑞々しさが損なわれて鈍重な印象となってしまった点だ。大阪公演の後、東京で上演された際には、なんとサブ・タイトルに“恋は劇薬”などと謳っていたが、ずいぶんとおどろおどろしい副題に驚いてしまった。たしかにガーネットの原作は瑞々しいと言うよりはもっと性的な意味での愛が描かれていて、ローズなどかなりインモラルな女性に映る。だが、日本における上演でそれに近づける必要はなく、アレックスやジェニーの切ない恋、ローズの孤独、ジョージの父性愛などといったところに重きを置いたほうが観客も共感できる。何も客に媚びろと言っているわけではないが、僕にとってはひたすら疑問だけが残る演出の変更だった。

訳詞にもだいぶん手直しを入れ、良くなったものと逆に悪くなってしまったものがある。たとえば、ジュリエッタが♪私 19で結婚してたの~ と言う場面があるのだが、“19”と入れただけだが彼女の生い立ちがわかりやすくなり、音楽の流れもかえって良くなった。悪い例としては、主題歌の『Love Changes Everything』で、♪恋はよみがえる いつか~ である。初演では“恋はめぐりくる”だったのだが、“蘇る”――“消滅したものが復活する”というのと、“巡りくる”――“巡り巡っていつか訪れる”というのでは、受ける印象が違わないだろうか。ほんのこれしきのことなのだが、「瑞々しさを損ねた」意図不明の改変だと思った。

ちょっと話は逸れるが、初演で“ヴェニス”とか“イタリー”と歌っていた箇所をすべて“ヴェネツィア”で統一していた。♪離れたい訳はよくわかってるわ 新しいあのイタリーの人~ が“新しいあのヴェネツィアの人”に。♪旅に出るわよ ヴェニスに行くの~ は“ヴェネツィアに行くの”に変更された。どうでもいいことだが、フランス語で会話しているのであれば、“Venise”とか“Italie”のままでいいんじゃないかな。後者は字余りにしてまで、“Venezia”にする必要があったのだろうか。

さて、俳優陣はどうだったか。石丸はこの6年の間に大役をいくつもこなし、すっかり落ち着きが出ていた。いや、いささか落ち着きすぎて今度は17歳に無理があった。声も重くなり、初演では原調で歌った『Love Changes Everything』はキーを2つも下げていた。堀内も《ウェストサイド物語》のマリアや《美女と野獣》のベルなどで大人のソプラノ声を身に付けて、結果子供っぽさが薄れてしまった。

この公演は伴奏がテープ演奏で、それに苦労していたのが光枝明彦だった。芝居の間やニュアンスなどは無視してどんどん進んでいく伴奏に必死で付いていってるという感じ。コストのこともあるのだろうが、音楽主体の作品で、安易にテープにしてしまう感覚がとても残念だ。

ヒロイン・ローズは大方の予想どおり保坂知寿が演じた。彼女は本当に器用だ。ことごとくどんな役にもハマってしまう。ローズ役でも奔放さと女優然としたところが良く、大人の女性を演じるのはこれが初めてであろう彼女の新境地といったところだった。だが僕には、幕切れアレックスに向かって訴える♪行かないで~ の高いCisの音を地声で張った志村幸美の歌声が忘れがたく、比べると保坂は、どうも綺麗に歌いすぎて物足りないところがあった。

意外なキャスティングだったのがジュリエッタの井料瑠美。末次美沙緒から比べるとずいぶん若い感じがする。だが、最後にアレックスと結ばれるとなると、なるほどとも思える配役だ。そして、井料はそれまで観た中で最もハマリ役だった。何しろ歌が良い。《コーラスライン》のマギーや《美女と野獣》のベルのナンバーでも巧さを実感したが、今回は彼女の美質を活かせる音域で、ソロ・ナンバー『There is More to Love』などオリジナルのキャスリーン・ロウ・マックアレンよりも聴かせた。末次とは別のアプローチで役をものしていたのも良かった。

[1999.1.15]

↑ Top
←Back