アニー
Annie
豪華キャストでド派手な演出
毎年のように上演されている《アニー》だが、僕はまず映画版を観たのが最初だった。
初めて観たのがいつだったかは定かじゃないが、えらく感動した覚えがある。それまでミュージカルと言えば、いかにも古色蒼然たる1960年代もしくはそれ以前のものしか観たことがなく、比較的新しい感覚のミュージカル作品が新鮮だったのかも知れない。
キャストがなかなか豪華で、ウォーバックスに英国俳優アルバート・フィニー、グレイス役にはボブ・フォッシーの愛弟子アン・ラインキング、ハニガン先生にアメリカではテレビ・ショーでお馴染みのキャロル・バーネット。ペテン師二人組にはなんとティム・カリーとバーナデット・ピーターズという贅沢さだ。主役アニーは8,000人もの中からオーディションで選ばれたアイリーン・クイン。シャーリー・テンプルそっくりの可愛らしいお嬢ちゃんだ(←実際は僕より1つ歳上)。
とにかく終始お祭り騒ぎのような演出。まずはウォーバックスの大富豪ぶりが派手で、大統領に会いに行くのもヘリコプター、映画を観に行くとなれば劇場を貸し切り・・・。ダンス・シーンはそれこそジーン・ケリーの映画と見紛うばかりのショー・アップで、中でもアン・ラインキングは清楚な役柄から逸脱して見えるほど踊りまくる。ペテン師二人の正体がバレる終盤などは、ほとんどやり過ぎで、アニーがルースターに跳ね上がっている鉄橋のてっぺんまで追いつめられ、原作漫画に出てくるプンジャブなる謎のボディ・ガード(ジェフリー・ホールダー)にヘリコプターで救出される。
監督は《白鯨》などのジョン・ヒューストンで、1982年製作。
大恐慌時代に生まれた原作
舞台の原作となったのは、アメリカの漫画家ハロルド・グレイによる「小さな孤児アニー(Little Orphan Annie)」で、1924年からシカゴ・トリビューン・シンジケートによって新聞に連載された。当時から大変な人気だったらしく、ラジオ・ショーや映画化もされたのだとか。ご存じだろうか? 舞台のロゴなどにも使われている、ちょっと不気味な「魔法使いサリーちゃん」みたいな絵(爆)。って言うか、サリーちゃんのほうがパクったんだろうな、たぶん。
この漫画を、舞台の作詞・演出を手掛けたマーティン・チャーニンが友人へのクリスマス・プレゼントのために買って読んだところ、物語が気に入り舞台化を考えついたらしい。それが1971年の事だ。作品自体は一年半ほどで完成したのだけれど、資金面などの問題でなかなか舞台にかけることができず、ようやくトライアウトに漕ぎ着けたのがコネチカットのグッドスピード・オペラ・ハウスで、1976年の事だった。さらにワシントンDCのアイゼンハワー劇場で約5週間の試演後、ブロードウェイでの初日は1977年4月21日、アルビン劇場(今のニール・サイモン劇場)であった。
ミュージカル《アニー》はたちまち評判を呼び、その年のトニー賞では7部門を獲得した。アニー役はアンドレア・マッカドール。他にレイド・シェルトン、サンディ・フェイソンなど。ハニガン先生役のドロシー・ルードンは同役で助演女優賞を獲っている。1983年1月2日にクローズするまで、なんと2,377回のロングランだった。
ニューヨーク。生まれてすぐに孤児院に置き去りにされたアニーは、首から下げたロケットが両親を探すための唯一の手掛かり。ある日、大富豪ウォーバックスの遣いで秘書のグレイスが孤児院を訪れる。クリスマスを一緒に過ごす子供を求めていた。アニーは懸命にアピールし、ウォーバックス邸に行くことになる。両親を捜していることを知った氏は、ラジオを通じて賞金付きの捜索をするのだが、それに目を付けたのが孤児院の女主人ミス・ハニガンとその弟ルースター、その恋人のリリィ。アニーの出生の秘密を知っており、それを使って両親になりすまそうとするが、すんでのところでアニーの両親はすでに亡くなっていたことが判明。ウォーバックスはアニーを養女に迎え、明日への希望を込めてクリスマスをみんなで祝うのだった――
解説文などには「作品のヒットには時代背景が関わっている」とある。舞台となった1933年は、暗黒の木曜日から4年。大恐慌の真っ只中、ルーズベルトが大統領になった年だ。人々は彼の唱えるニューディール政策に希望の光を見つけ、頑張って奮起しようとしていた時代。一方、《アニー》 が初演された1977年と言えば、ベトナム戦争終結後のアメリカが傷ついていた時代。同じように荒んでいた'30年代という時代にあって、明るく強く生きる少女の姿が共感を呼び、大ヒットに繋がったということだったらしい。
日本での初演は1978年、日生劇場。主役のアニーは宝塚歌劇団の愛田まち。ウォーバックスに若山富三郎、ミス・ハニガンに平井道子、グレイスにはやはり宝塚から近衛真理というキャストで、東宝の上演だった。大人が演じるアニーはどうだったのだろうか?ちょっと興味があるところだ。
オーディションを勝ち抜いて
日本テレビが製作を始めた1986年以来、アニー役はずっとダブル・キャストで組まれている。僕が観たのは6年目の1991年。鈴木奈央と多田葵の2人だった(小学4年の葵ちゃんの日に観劇)。
のちにオーディションから稽古までを取材したドキュメンタリー番組を見たのだが、毎年大勢の女の子がアニー役を目指してオーディションにやって来る。その厳しい審査を勝ち抜く大変さ・積み重ねてきた訓練は、僕など到底想像も出来ない。選ばれて泣き出す子さえいる。まして合格したら、本当に大変なのはそこからで、稽古中には演出家(篠崎光正)に相当絞られていた。「よくもこんな小さな子に」という過酷な注文もしていた。
それを見た上で敢えて言わせてもらうならば――「それにしてはなぁ・・・」というのが正直な感想だ。
日本の子役はどうしてだかみんな、台詞を奇妙な抑揚で話し、それがまた聞き取りづらい。“泣き”の芝居なんか大袈裟すぎて、興を削がれてしまうこともしばしば。ドキュメンタリーの番組中、演出家がやたらと「気持ちを入れて芝居しろ」と檄を飛ばしていたが、ワーワーと何を言っているか解らない喋り方で気持ちを込めて泣きじゃくるより、まず技術的な面で観客にきちんと伝わることも大切じゃないだろうか。踊りや歌は大人顔負けなのだが、こと演技に関しては学芸会と大差ない。これは彼女たちが普段指導されている児童劇団などのメソッドに問題があるんだと思う。非常に勿体ない気がした。
大人は子役に押され気味
舞台は、この種のファミリー・ミュージカルとしては丁寧に作られていた。もう何年も上演をしている実績があるので、舞台づくりや見せ場などのノウハウも確立しているのだろう。
オリバー・ウォーバックスは財津一郎からバトン・タッチした上條恒彦で、この人は本当に声が良く押し出しも立派だ。いささか荒っぽいのが過ぎる気がしたが、温かみのある素敵なパパ・ウォーバックスだった。
ハニガン先生は上月晃。非常においしい役どころのはずなのだが、どこかエンジンを全開にしていないように見えた。これは大人役の全員に言えることだが、子役の元気さを妙にお行儀よく受け止めていて、そのことが舞台全体のエネルギーを削いでるように見えるのだ。よく“子供と動物には勝てない”などと言うが、犬のサンディなんかよく躾られたもので、なるほど大人の役者たちがどんなに奮闘しても太刀打ちできない面があるのもやむを得ないが、だからこそなおさらフルスロットルで対峙しなくてはいけない。
グレイス・ファレルには、これまた宝塚出身の峰さを理だった。元男役の割には涼やかにこなしていたが、取り立てて印象に残るようなものでもなかった。ルースターとリリィには郡司行雄と林選というダンサー2人。この役は逆に頑張らないと埋没してしまう役で、見事にめり込んでいた。
元気でぶきっちょな子役たちと、彼女らに押され気味の大人たちではあったけど、総体的には楽しくしみじみと心に残る舞台だった。何と言っても脚本(トーマス・ミーハン)と音楽(チャールズ・ストラウス)が良い。とりわけ明日への希望を歌いあげる主題歌『トゥモロー』には元気づけられる人も多いはずだ。世界各地で繰り返し上演されているのも納得できる。
ところで、季節はばっちりクリスマス・シーズンのこのミュージカルを、日本ではなぜ春先に公演するんだろう・・・。疑問だ。
[1997.10.12]