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2001-05-24 (Thu)

ハンセン病訴訟に思う

ハンセン病の元患者さんたちが、「らい予防法に基づく強制隔離政策で基本的人権を侵害された」として国を相手取って賠償を求めていた裁判で、熊本地裁は11日、国の責任を認め、慰謝料の支払いを命ずる判決を下しました。
これに対し、国が控訴するかどうか注目を集めていましたが、昨日23日、小泉首相は異例とも言える政府声明で、控訴をしない旨の発表をしました。

僕の母は、熊本の菊地恵楓園(国立療養所)で看護婦として働いていたことがあります。なので、小さい頃からハンセン病患者さんたちの様子を聞き、“らい”という病気がどういうものなのか、漠然とは知っているつもりでいました。
でも、実際に後遺症がとてもひどい人たちが、メディアに出ているのを見て、正直ショックだったんですよね。ハンセン病がどういう病気なのか、元患者さんたちがどういう迫害や差別に苦しんできたのか、本当は何も知らなかったんだなぁって思いました。
お叱りを覚悟で書くならば、ハンセン病患者特有の容姿には、やっぱりちょっとビックリしてしまうんです。
たしかに情報の乏しい時代にあっては、悪くすればあの姿になり、原因もわからず、感染すると聞かされれば、迫害されたのかも知れません。そして、その無知こそが悲劇を生んだのに違いないのです。エイズという病気が世に出たばかりの頃、やはり同じだったように。

日本で初めて「らい予防に関する件」が制定されたのが1907年(明治40年)。
その後、「らい予防法」が1931年(昭和6年)に制定、強制隔離が徹底されるようになりました。元来、感染力・発病力が弱く、1943年(昭和18年)に特効薬プロミンの治療効果が発表されてからは、ハンセン病は完全に治る病気となりました。
しかし、その事実が明らかになってからも、国は然るべき措置をとらずにいたのです。以来、半世紀以上経った1996年(平成8年)、らい予防法は廃止となりました。
その間の患者さんたちの悲しみは計り知れません。強制労働、監禁、断種、堕胎 etc...
「家族に迷惑が掛かるから」と、実名さえ明かせない。

僕の母親は言います。「らい予防法が廃止になり、訴訟を通じて世の中に広く知られるようになったけれど、それまでは療養所がなければ、彼らはきっと生きていけなかっただろう」と。それだけ根強い差別心が残っているという、悲しすぎる現実です。

 

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