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美女と野獣

Beauty and the Beast

  1. ディスニーアニメの復活
  2. ブロードウェイにディズニーが参入
  3. 期待していなかった舞台化だったが
  4. ウェストエンド公演

ディスニーアニメの復活

僕が子供の頃のディズニーアニメと言うと、1966年にウォルト・ディズニーが亡くなって20年近くヒット作が出なかったこともあり、《白雪姫》から始まるビンテージ作品くらいしか目に触れることがなかった。1990年代に入ると《リトル・マーメイド》の公開をきっかけに活況を取り戻し、1991年公開の《美女と野獣》はアカデミー賞作品賞にアニメーション映画として初めてノミネートされ、広く世界に知れ渡った。その後、《アラジン》《ライオン・キング》《ポカホンタス》といった作品を次々と世に送り出し、“ディズニー×長編アニメ×ミュージカル”という形がすっかり定着した感がある。

《美女と野獣》は製作総指揮を作詞家ハワード・アッシュマンが執っており、ご存じ作曲家アラン・メンケンとのコンビで《リトル・マーメイド》を成功に導いた立役者であり、本作でもミュージカル・シーンが滅法魅力的であることが作品ヒットの大きな要因になっている。オフ・ブロードウェイの《リトル・ショップ・オブ・ホラーズ》はつとに有名だが、ミュージカル志向の二人だからこその成功に他ならない。
テーマ曲をセリーヌ・ディオンピーボ・ブライソンがデュエットしてアカデミー歌曲賞を受賞、当然作曲賞も獲得しており、アラン・メンケンの素晴らしさは言うまでもない。

発明家モーリスの娘ベルは、読書好きで町中の人たちから変わり者と思われており、町の人気者ガストンに求愛され困っている。ある日、発明品の品評会に出かけたモーリスは、道に迷いオオカミに襲われて、森の奥にある城に逃げ込む。その城には魔法がかけられ、家財道具は言葉を話し、城主は野獣の姿をしていた。不法侵入に怒った野獣はモーリスを牢獄に閉じ込めるが、助けに来たベルが身代わりとして城にとどまることになる。はじめは粗野な野獣を拒絶するベルだったが、次第に野獣の優しい一面に触れ、心を開いていく。だがモーリスが野獣のことで狂人扱いをされていることを知ったベルは、町に戻りガストンたちに野獣のことを説明する。ガストンは「野獣は危険だ」と煽り、襲撃するために町の住人たちと城へ向かう――

原作小説は、18世紀にフランスのヴィルヌーヴ夫人によって最初に書かれ、後にボーモン夫人が短縮再構成したものを出版。映画のベースは一応このボーモン版とのこと。映画化ではもちろん原作にはない新キャラクターが登場し、ディズニーらしさ全開の脚色で大ヒットとなった。

日本では1992年公開。日本語版のヒロインを劇団四季出身の伊東恵里が担当するという情報に興味をそそられたが、実は僕、当時映画館に足を運んだかどうか記憶が定かではなくて、初見の印象がわりと薄い。
とにかく覚えているのは、ガストンが登場した際の第一声 “I know.” の瞬間。マッチョを声で具現化するとこうなるんだという発見。なんて良い声なんだろう! なおかつガストンは大ナンバーが2曲(『Gaston』『The Mob Song』)もあって、キャラ作りには相当力が入っている。一方野獣は『There's Something There』のデュエットでワンフレーズ歌うだけ。子供が飽きない90分程度で納めようとすると、役柄的にドラマ重視で歌は必要なかったのか。その辺のバランスは今でも疑問ではある。
あとは、女に知性など要らないとされている時代にあって、ヒロインに関して本が好きなフェミニストという設定を強調してあるのだが、もはやプロパガンダと感じるほどだった。だからというわけではないが、ところどころでベルが身勝手な印象を受ける場面(禁止されている西の塔に勝手に立ち入ったり)が引っ掛かり、個人的にはそこまで共感を呼ぶに至らなかった。

ブロードウェイにディズニーが参入

1994年、ディズニーがこのアニメ映画の舞台化をブロードウェイで実現させた。演出はロバート・ジェス・ロス。アニメでベルの声を演ったペイジ・オハラにオファーがあったとも聞くが、初演ではスーザン・イーガンがキャスティング。ラム・タム・タガーやジャベールをブロードウェイのオリジナルプロダクションで演じた実力派テレンス・マンが野獣役に。
パレス劇場で4月に開幕したが、同年6月のトニー賞では9部門のノミネートで受賞したのは衣装デザイン賞のみであった。舞台になったと聞いたときに僕がまず気になったのが、家財道具に変身させられた城の召使いたちをどう設えるのかだったが、そもそも燭台とかポットとか箪笥なんかのスケールを映画通りにするのは無理なわけで、そこはそれなりって感じではあった。それでも映画版のイメージを壊すことなく、随所に工夫が凝らしてあった。

舞台化に際して、新曲が7曲追加された。ハワード・アッシュマンはアメリカで映画が公開された4日後に亡くなっているので、追加された曲の作詞はティム・ライスが担当した。ただし『Human Again』というナンバーはオリジナルの映画のために書かれてカットされたもの。後述するがこの曲こそが舞台の大きなポイントになったと思う。
ストーリー進行はアニメ映画をほぼ踏襲していて簡潔明瞭。プロローグから幕開け『Belle』にかけては、よくぞこれほどそっくりに再現したものだと感心したし、ビッグナンバー『Be Our Guest』の本格レヴューはアニメ映像より一層豊かであったし、終幕までまさに魔法のような様々な仕掛けで楽しませてくれる。野獣から王子に変わる場面など、イリュージョンですよ、本当に。

期待していなかった舞台化だったが

日本での公演は、劇団四季が1995年11月24日に赤坂ミュージカル劇場で、翌12月から大阪のMBS劇場で並行して2公演が行われた。世界のディズニー作品ということで、ビッグプロジェクトであることはプロモーションからもひしひしと伝わり、八月真澄、北村岳子といったかつての四季在籍組から今井清隆、治田敦といった外部からの参加もあり、オーディション風景をテレビで放映したりと、とにかく高揚感があった。
僕は開幕から1週間ほど経った日程で見ることができ、その後何度も赤坂に通った。

舞台作品となった《美女と野獣》を観て、強烈に感動したのが“人間讃歌”というテーマだった。
“野獣は果たして元の姿に戻れるのか”というモチーフを膨らませて、その象徴である『人間に戻りたい』というナンバーを復活させ、人間として生きることがどれほど素晴らしく、有り難いことなのかを召使いたちが高らかに歌い上げる。
人間として暮らしていた頃の幸せを取り戻すため、愛し愛されることを試練として告げられた野獣の苦悩は、本当の愛が何かを知れたときに「彼女の愛がわが呪いを解き放つことが出来ぬならば 滅せよ、この身を」と叫ぶ。
どんな境遇であろうと、人間として生まれてきたことへの喜びを忘れず、その幸福を粗末にしてはいけないのだというメッセージが僕には感じられたのだ。

正直を言うと、映画版では「見た目の美醜にとらわれずに本当の愛を理解するんだよ」とか、その程度のテーマだと思ったし、テーマパークのショーの延長みたいなものかと舞台化自体にあまり期待もしていなかったのだが、“人間讃歌”という側面を打ち出したことで、この作品への思い入れがぐっと深まった。

野獣役には芥川英司荒川務がキャスティングされた。芥川はすこぶる甘い声と台詞の間に気品があり、王子であったことを常に感じさせる役作り。荒川はどこか爽やかさを前面に出すアプローチだった。
ベル役は野村玲子堀内敬子。野村はさすがの美しさで、読書家を地で行く知的さと台詞回しの巧さが際立った。堀内はもう少しカジュアルでコミカルなベルであった印象。すっかり四季のヒロイン担当になったものだ。
ガストンは今井清隆の美声が轟いたが、ジャベールとか演っていた人なのでマッチョで突き抜けた役に若干手こずっていたようにも見えた。ポット夫人は志村幸美が最高としか言いようがなく、温かさ、軽やかさ、華やかさ、そして歌唱力のどれもが世界一であることは疑いようがない。
ルミエールの青山明、コッグスワースの青木朗、ルフウの明戸信吾、モーリスの松下武史など歌巧者で観るほうが僕は好きだった。日下武史とか芝居はさすがなのだけれど、歌い出すとこちらが強ばるからね。
ほかに、石丸幹二の1幕最後『愛せぬならば』と井料瑠美の『わが家』は特筆しておこう。それと余談で、幼いウエンツ瑛士がチップ役で出演していたことを付け加えておく。

ウェストエンド公演

ロンドン・ウェストエンドでは日本より遅れて1997年に開演し、僕はその公演を観ることができた。 オリジナル・カンパニーというのは、やはり質が違う。何億円も掛けて作るのだもの、当然っちゃ当然だろうが、キャスティングも慎重に選ばれたであろうし、演出や装置に手抜きはない。
イギリスのポッシュな英語で観る《美女と野獣》はよりヨーロッパ的趣き。知っているところだとミセス・ポットにマダム・ジリーのオリジナルキャストだったメアリー・ミラーバリー・ジェイムズがコッグスワース。ベルはジュリー=アラナー・ブライトン、野獣はアラスデア・ハーヴェイという配役。『If I Can't Love Her』は1音高いキーで歌われた。
あと印象にあるのは、タイトル曲のボールルームシーンで “Dance with me?” とベルに誘われ、野獣がもたもたしていると、侍従二人がこっそり諭すのではなく、“Dance with her!” と強い注意口調で笑った。(ちなみにオーストラリア・キャストの録音も注意口調)

[2000.01.06]

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